にこたろう読書室の日乗

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0600 起床 気分快 雨 【逗子巡行】⑤ 豪勢な朝ごはんを食べて、森戸神社と「千貫の松」を観に行くこと。

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朝のお風呂に入ってから食べる、「葉山 うみのホテル」の朝食はとても豪勢です。

 

 

まずサラダを取ってきて。

 

 

主品は選択制。

フレンチトーストにしましたよ。

朝からこんなに食べるのは、年に数回のこと。

たまには良いでしょう!

 

 

こんな感じ。

ゴージャスでご機嫌です。

 

 

はい、さようなら。

 

これから近くの森戸神社に出かけます。

源頼朝が、鎌倉に入った1180年に、伊豆の三嶋大明神の分霊を勧請して創建したと伝わる神社です。

ここは僕は、ひょっとしたら初めてです。

 

 

森戸大明神(森戸神社)

 

源頼朝が創建し、鎌倉時代の歴史書「吾妻鑑」にも記されている由緒ある神社。

本殿は、葉山町重要文化財に指定されている。また、鳥居は「名島」という小さな島に建っており、夕暮れの名島の景色は「かながわ景勝50選」にも選出されている。子宝神社としても有名で、子授祈願・安産祈願に訪れる観光客も多い。

 

 

森戸海岸から沖を見ると、名(菜)島という小島に赤い鳥居が立っていますが、森戸神社の鳥居で、縁結びの御利益があるとのことです。

この森戸大明神(こっちが正式名称かな)天然の岩礁の上にある神社で、境内は荘厳な雰囲気ながらもどこか爽やかな風が吹くという立地。


神社の裏には磯が広がり、地元の人たちが磯遊びをしています。

石原裕次郎の詩が書かれた碑があり、沖には裕次郎灯台と鳥居、遠くに江ノ島や富士山を望むことができます。

 

 

石碑には裕次郎のブロンズ像、石原慎太郎氏自筆の詩が刻まれています。


「夢はとおく 白い帆に のって 消えていく 消えていく 水のかなたに太陽の季節に 実る狂った果実たちの 先達 石原裕次郎を 偲んで」

平成元年7月17日 石原慎太郎

 

狂った果実」なんていうセンスが、妙に昭和レトロで、もの悲しいなあ。

みんないってしまった。

 

森戸大明神の裏手、海を見下ろす岩山に見事な松の木が生えています。

 

 

「千貫の松」と書いてありますね。

 

この前引用した『三浦古尋録』に、「三浦名五木(めいごぼく)」の表記がありますので再掲します。

 

 

その「五木」とは、「森戸千貫松・二町谷(ふたまちや)桃・向ヶ崎椿・城ヶ島棍柏(びゃくしん)・三崎山桜」の五つです。

 

この「森戸の千貫松」にはこんな言い伝えがあります。

 

元暦元年(1184年)、源頼朝は休息のため立ち寄った森戸でこの見事な松をみて、「如何にも見事な松だ」とほめたところ、出迎えた和田義則が、「千貫の価値ありて千貫松と呼びて候」と答えたことから、この松は千貫松と呼ばれ続けているそうです。

「千貫」とは何を意味するのでしょう。

江戸期の貨幣制度で、一貫は銭千文(もん)としており、明治期では十銭を一貫としています。「千貫」とは、それなりの価値があるのでしょう。

 

『新編相模風土記稿』(天保十二年/1841年完成)には、「社の西海浜に突出たる岸上に在り、周囲二尺(約60cm)余り、松樹の形いと美にして其(そ)の価(あたい)千貫を似て募(つの)るべし故に名づく」とあります。

 

石原裕次郎もすでにセピア色の過去ですが、こっちは頼朝だからね。

石や松は、長持ちだ。(この松は現物ではないだろうけど)

人間も、うまくすれば100年くらい、持ちますね。

 

Kamiyaくんが御朱印をもらってから、これからもう一つの目的地、奇跡の森に移動します。

三浦三崎駅付近まで、一気に南下します。

「小網代の森」というところに、北半球でも稀な、風土・植生の地域が見事に保存されているのです。