血圧値 128/82/73 酸素飽和度 98% 体温 36.3℃ 体重 68.2キロ
朝のお風呂に入ってから食べる、「葉山 うみのホテル」の朝食はとても豪勢です。
まずサラダを取ってきて。
主品は選択制。
フレンチトーストにしましたよ。
朝からこんなに食べるのは、年に数回のこと。
たまには良いでしょう!
こんな感じ。
ゴージャスでご機嫌です。
はい、さようなら。
これから近くの森戸神社に出かけます。
源頼朝が、鎌倉に入った1180年に、伊豆の三嶋大明神の分霊を勧請して創建したと伝わる神社です。
ここは僕は、ひょっとしたら初めてです。
森戸大明神(森戸神社)
源頼朝が創建し、鎌倉時代の歴史書「吾妻鑑」にも記されている由緒ある神社。
本殿は、葉山町の重要文化財に指定されている。また、鳥居は「名島」という小さな島に建っており、夕暮れの名島の景色は「かながわ景勝50選」にも選出されている。子宝神社としても有名で、子授祈願・安産祈願に訪れる観光客も多い。
森戸海岸から沖を見ると、名(菜)島という小島に赤い鳥居が立っていますが、森戸神社の鳥居で、縁結びの御利益があるとのことです。
この森戸大明神(こっちが正式名称かな)天然の岩礁の上にある神社で、境内は荘厳な雰囲気ながらもどこか爽やかな風が吹くという立地。
神社の裏には磯が広がり、地元の人たちが磯遊びをしています。
石原裕次郎の詩が書かれた碑があり、沖には裕次郎灯台と鳥居、遠くに江ノ島や富士山を望むことができます。
石碑には裕次郎のブロンズ像、石原慎太郎氏自筆の詩が刻まれています。
「夢はとおく 白い帆に のって 消えていく 消えていく 水のかなたに太陽の季節に 実る狂った果実たちの 先達 石原裕次郎を 偲んで」
平成元年7月17日 石原慎太郎
「狂った果実」なんていうセンスが、妙に昭和レトロで、もの悲しいなあ。
みんないってしまった。
森戸大明神の裏手、海を見下ろす岩山に見事な松の木が生えています。
「千貫の松」と書いてありますね。
この前引用した『三浦古尋録』に、「三浦名五木(めいごぼく)」の表記がありますので再掲します。
その「五木」とは、「森戸千貫松・二町谷(ふたまちや)桃・向ヶ崎椿・城ヶ島棍柏(びゃくしん)・三崎山桜」の五つです。
この「森戸の千貫松」にはこんな言い伝えがあります。
元暦元年(1184年)、源頼朝は休息のため立ち寄った森戸でこの見事な松をみて、「如何にも見事な松だ」とほめたところ、出迎えた和田義則が、「千貫の価値ありて千貫松と呼びて候」と答えたことから、この松は千貫松と呼ばれ続けているそうです。
「千貫」とは何を意味するのでしょう。
江戸期の貨幣制度で、一貫は銭千文(もん)としており、明治期では十銭を一貫としています。「千貫」とは、それなりの価値があるのでしょう。
『新編相模風土記稿』(天保十二年/1841年完成)には、「社の西海浜に突出たる岸上に在り、周囲二尺(約60cm)余り、松樹の形いと美にして其(そ)の価(あたい)千貫を似て募(つの)るべし故に名づく」とあります。
石原裕次郎もすでにセピア色の過去ですが、こっちは頼朝だからね。
石や松は、長持ちだ。(この松は現物ではないだろうけど)
人間も、うまくすれば100年くらい、持ちますね。
Kamiyaくんが御朱印をもらってから、これからもう一つの目的地、奇跡の森に移動します。
三浦三崎駅付近まで、一気に南下します。
「小網代の森」というところに、北半球でも稀な、風土・植生の地域が見事に保存されているのです。