血圧値 119/80/75 酸素飽和度 98% 体温 36.2℃ 体重 69.0キロ
「すごく純粋な子ですよ。親に歯向かって喧嘩するような様子や声も聞いたことがない。
あの事件の前はしょっちゅう友だちと一緒に自転車にのって遊びにいってる様子をみかけてました。私が畑で大根ぬくのに苦労してたら『おばちゃん、手伝うよ』なんていって、畑仕事を手伝ってくれたりしてくれました。」
スシロー店内のボックス席で、金髪の少年が醤油のボトルや未使用の湯呑みを舐め回して元の位置に戻しただけでなく、回転レーン上の寿司に自身の唾液を擦りつける様子を収めた動画が1月下旬からネット上に出回り、瞬く間に拡散。
被害を受けた企業は被害届を提出し、少年に対して刑事と民事の両面で厳正に対処する方針を発表。さらに少年はネット上で名前や高校名などを晒され、一部では高校を自主退学したという報道も。
「お父さんが、心配してか、仕事の現場に息子さんをつれていったこともあったそうですが、基本的にはずっと家にいるのではないでしょうか。少なくとも一人では外出はしないと思います。あの件以降、まったく姿を見かけることがなくなりました」
「お母さんも買い物に行くのは、日が暮れて辺り真っ暗になってから、店が閉まる直前に買い物にでかけてられます。あの事件以降、少年もその家族も、時計の針が止まったままのようになってます」
「お母さんはものすごくきれいな人だったんですが、それがこのひと月ほどで、げっそり痩せてしまって……。顔色も悪いし、やつれて別人のようになってしまって。もう憔悴してきってるのよ」
「ずっと家にいる…」地元住民明かす「スシローペロペロ少年」の“その後”
普通の少年(自業自得)と普通の家族(お気の毒)が、あっという間に地獄に転げ落ちる。残念ながら、最近よく見るニュースです。
いま日本で、日常茶飯に起きている事態ですが、これはいったい何なんだろう。
一昔前なら「悪戯」で済んだ、ていうか問題にさえならなかったこと、とも言われます。
現在、これは一家離散・家庭崩壊・国際手配(これは違うか)にまで、一瞬で追い込まれる「重大犯罪」。
その原因の根底には、「ネット社会」という、摩訶不思議で不気味な世界があります。
ネット環境がなければ、起こりようのないこういった事態。
これはやはり、普通ではない。
捕まった後の彼ら(犯人)の反応や行動は、たいていこんな感じ。
①「この度はすしを乱暴にあつかってすみませんでした。深く反省してまーす!」というおちょくった口調。
②口では謝罪を述べるが笑いをこらえているようにも見える態度の謝罪動画を投稿。
③「面白いと思ったから」といった趣旨の幼稚な供述。
④「これをしてしまうことで刑事罰になるような威力業務妨害罪になるっていう認識すらなかったんです。民事の損害賠償がどうなるかわからないし、これからの将来が不安なんですよ。今になって事の重大さに気づき、反省している」という弁護士の擁護。
⑤「犯人たち」の見た目もなんか、似ている。顔・身体・目鼻口・金髪。
悪いが、いかにも頭が悪そうだ。
これが連日、テレビやネットで世界に拡散されるんだから、家族・関係者は悲惨な気持ちになりますね。
⑥事件後、悪名を利用してネットデビューを図り、収入化を目論むコースも。
⑦その知名度を、なにかほかの儲け話に悪用しようとする輩もちらほら。(含マスコミ)
彼らは「単なるバカ」ではなく、最近の「新しい人類」の、根源に迫る何かを体現しているのではないかと思われます。そこが、この現象の奥深さです。
ところで、なぜ彼らは、こういう一見意味のない悪戯行為を行うのか。
しかも主として、食べ物がらみの悪戯である。
それは昭和のドリフターズの「食べ物粗末ネタ」に源流があるのか?
彼らは当然、直接はあの時代を経験はしていない。
いかりやをまったく知らないかもしれない。
「食べ物を粗末にしてはいけない」という価値観は、多分、戦中・戦後の食糧事情が絡んだ倫理感・価値観です。
もののない時代。飢餓の体験。銃後の苦労。抑留者の悲惨。
戦後の高度経済成長期とバブル経済の狂乱は、これまでの鬱屈を一気に発散するように、「飽食の時代観」を煽ります。
そして、崩壊と混迷。混乱と閉塞。絶望と諦念。
「食べ物とお金は粗末にしてはいけない」
倫理観・世界観も変わりますね。
高齢者ばかりが生き残り、自分たちの老後の社会保障・年金システムすら不安な今の「子ども」たち。
僕たちが子どものころ、たぶん普通にやらかしてきた、他愛のない悪戯行為さえ抑圧されてきた今の「子ども」世代の、当人たちもじつは認識していない「反発・抵抗・不安」の衝動の無意識的な発現が、これらの事件なのだろうか。
だとすればこれは、彼ら一人一人の特殊具体的な問題ではない、ということになります。
新しい人類は、自ずとこういう方向に少しずつ動き出しているのかもしれない、ということです。
「新しい人類」を定義します。
「醤油差しを舐めるサル」。
このコロナ禍のさなか、われわれ人類の新しい進化の方向に、こういう捩じれた情けない座標系が加わったのでしょうか。
やれやれ。