にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 曇 「ブルーフィルム」を定義します。富士山が映ると、俄然、品格が良くなると言われています(嘘です)。

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昨日、『東京ダモイ』が、俳句の分析から解決に到る、という話を書きました。

0430 起床 気分快 雨 「推理小説」を定義します。「読ませる機械」です。『東京ダモイ』を読みました。「抑留」について勉強になります。 - にこたろう読書室の日乗

 

「俳句」って、僕は作らないんだけど、嫌いではない。

シベリア抑留がテーマの小説、ということで、戦争繋がりですぐさま浮かんでくるのはこの一句。

 

戦争が廊下の奥に立つてゐた  渡辺白泉

 

白泉、1939年の句です。(白泉ってこの写真しか見たことないなあ。落語家っぽいね。)

 

日中戦争のさなかとはいえ、国民の多くにとって戦禍がまだ対岸の火事だった頃、いち早くそのにおいをかぎとっています。2年後、日本は第二次世界大戦に参戦する。

 

これは季語がないので無季の俳句です。季語がないと、比喩の半分を却下してしまうので表現の奥行が削がれるようですが、白泉はあえて、自由な表現のために言葉の「量」を確保して攻めていますね。

 

廊下の奥の暗がりに、ひっそりと不気味に立つ「戦争」が、怖い。

歩哨の幻影。

 

もう一句。

 

玉音を理解せし者前に出よ  渡辺白泉

 

戦争終結。悲愴な無力感。

絶望的な静寂。

 

軍隊では、上官から「理解できぬ者は一歩前に出よ」と叱られる。しかしこの作品は、「玉音を理解せし者」である。

玉音は天皇の声のこと、理解したのであれば、軍人から叱られることはない。
昭和20年8月15日、もはや戦争は終わっている。

唐突な幕切れ。何の予告もなく。

 

 

これは、誰が誰に命じているのか。

軍人の上官が、部下に対してか。

惨禍をなめた国民が、軍部・国家に対してか。

 

この虚無感とやり場のない怒り。

一体誰が、自信をもって一歩前に出られるというのか。

白泉の静かな怒りに満ちた一句である。

 

ところで、僕の人生で、俳句というと忘れられない、妙に記憶の片隅に引っかかっているのが、これ。

 

初春や ブルーフィルムに富士映る  作者不詳

 

もう何十年も前のこと、塚本邦雄さんと話しているとき、「こんなん、面白い句がありましてん」みたいな、ほんわかした近江言葉で教えていただいたのが、この一句です。

ちょっと記憶があいまいで、初五の「初春や」は本当はちょっと違っていて僕が脳内記憶で補完してるのかもですが、これはこれで良いような。

塚本さんの自身の句ではなく、なんか投稿作品とかだったのかな。

 

「ブルーフィルム」って死語ですか?

 

こんな感じ?

嘘です。

 

ブルーというと悲しみや憂鬱の色ですが、映画の世界で「ブルー・フィルム」「ブルー・ムービー」はポルノグラフィの意味ですね。フィルムが青く塗られていたからというのですが、この説は怪しい。

 

Wikiの記述は、なんかやる気が無いな。

 

ブルーフィルム(ポルノグラフィ)

主としてポルノグラフィを題材とした、すなわち性的・猥褻な映像作品、または映像媒体でのポルノグラフィ(ポルノ映画など)を指す俗称。 多くは非合法であった。 現在は同様の形では存続していない。

 

ベータやVHSのビデオテープが登場する前、動画映像の記録・保存は、映画フィルムでした。(今やそのビデオテープの時代も終わりましたが。昭和レトロ遺産ね。)

 

現在は、こんな感じ。DVDとかを経て、もはや配信の時代かな?

でも、とても懐かしい過去がよみがえる人が、まだ、多少存命中でしょう。

僕は、ほんとぎりぎり。

 

オークションで買えます。(要らんけど)

 

こんな感じ。

8mmフィルムなのですね。おじいちゃんの遺品整理かな。

『モーテルの昼下がり』『峠の恋』『侵入者』

メモ書きが妙に達筆なのが、泣けるなあ。

モーテル、やばいなあ。これも死語なのか。

 

現在、そもそも8mmフィルムの映写機がない。

白い敷布みたいなのをスクリーンにしてお茶の間で鑑賞するのね。

 

若いころ、1回だけ友達の家で見たことがあります。

なんか、タンスの引き出しに仕舞ってあったよ。

パタパタ漫画みたいな、不自然な動きの動画だったなあ。

 

何だったんだっけ。

 

俳句の話だった。

今回は上品な話題から入ったのに、なんかちょっと品格が下がってきたのかな。

 

初春や ブルーフィルムに富士映る  作者不詳

 

再掲と鑑賞。

 

お正月の、清々しく身が引き締まるような雰囲気の中で鑑賞していた「動画」の中に、これまた清々しくお品のよい富士山の姿が映ってました。なんとも平和で、こころが洗われる気持ちになることよ(詠嘆)。

 

ていうところかな。

 

聖と俗、日常と非日常の狭間に立ち現れる、平凡な普通のやすらぎ。

見失っていた、生きのいのちのよろこび。

 

これはいまさら定義しても、現物も、記憶もありませんが。

 

「ブルーフィルム」を定義します。

 

俗の中の聖。失くしてからわかる懐かしい時代。親父の青春。昭和の残影。

欧米ではブルーだけど、日本人はピンクで表現し、中国は黄色で表す、愛すべき感情。

富士山が映ると、俄然、品格が良くなるもの。

 

無駄に、長文になりました。これで失礼します。