血圧値 118/83/78 酸素飽和度 99% 体温 36.2℃ 体重 67.5キロ
青面金剛夜叉(まだ悪者のころ)が流行らせた「奇病」ですが、三尸の虫が体内に入って起こる症候群のことのようです。これは、中国起源の「庚申信仰」と深いかかわりがあります。
人の体には三種の悪い虫(三尸:さんし)がいて、宿主の悪事を見張っているとされます。
この絵は、『太上除三尸九虫保生経』にある三尸の画。向かって右から順に上尸、中尸、下尸だそうです。持っている巻物に、主の悪行がメモされているのでしょう。
庚申の日の夜、三戸は人が寝ている間に体を抜け出して、帝釈天に悪事を報告しに行くのだそうです。
悪行がバレると寿命を短くされるので、庚申の日には寝てはならない、ということで、眠らずに宴会をして過ごす「庚申待(こうしんまち)」という風習ができました。
民間に広まったのは江戸時代ですが、平安貴族の間で始まったようです。そのおおもとは中国大陸でしょう。
三尸とは、上尸・中尸・下尸の3種類の虫のことであり、人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる。『太上三尸中経』の中では大きさはどれも2寸ばかりで、小児もしくは馬に似た形をしているそうですが、諸説あり。
病気を起こしたり、庚申の日に体を抜け出して寿命を縮めさせたりする理由は、宿っている人間が死亡すると自由になれるからである。
葛洪の記した道教の書『抱朴子』(4世紀頃)には、三尸は鬼神のたぐいで形はないが宿っている人間が死ねば三尸たちは自由に動くことができ、またまつられたりする事も可能になるので常に人間の早死にを望んでいる、と記され、『雲笈七籤』におさめられている『太上三尸中経』にも、宿っている人間が死ねば三尸は自由に動き回れる鬼(き)になれるので人間の早死にを望んでいる、とある。
主を病気にはするは素行をチクるは、とんでもない虫たちですね!
やはり駆除を考えないと。
三尸を駆除することを消遣(しょうけん)という。
しょうけん≠しょうけら
この図式は頭に入れておこう。たぶん青面金剛がぶら下げているあの謎の半裸女性のモチーフです。
さて、この虫が体内にいるとき起きる病の症状について。
上尸(じょうし):人間の頭の中、つまりは脳に居り、首から上の病気を引き起こしたり、大食を好ませたりする。
『太上除三尸九虫保生経』では道士の姿で描かれる。
中尸(ちゅうし):人間の腹の中に居り、臓器の病気を引き起こしたり、宝貨を好ませたりする。
『太上除三尸九虫保生経』では獣の姿で描かれる。
下尸(げし):人間の足の中に居り、腰から下の病気を引き起こしたり、淫欲を好ませたりする。
『太上除三尸九虫保生経』では牛の頭に人の足の姿で描かれる。
脳・臓器・足を犯し、食欲・金銭欲・淫欲を暴発させる「奇病」。
こういう症候群のシンボルとして「青面金剛夜叉」が同一視され、これをいかに調伏するかが、民間宗教者の課題となっていったのではないか。
これはやはり中国で起きた現象で、それが日本に渡来僧経由で伝わったと考えられます。
青面金剛の絵姿は病気逃散の祈祷に使われました。
こんな感じの掛け軸を掲げて、病魔退散の秘事の祈祷を行うのですね。
四天王寺にあり、多分現存する最古の青面金剛画像と思われるもの。
こんな感じ。
四天王寺の庚申堂は、全国に伝来する種々の庚申縁起で、庚申信仰の端緒、諸国庚申の本寺とされており、江戸時代には新たに庚申堂を起こすにあたっては、四天王寺の許可が必要であった。庚申堂の本尊である青面金剛は60年に一度しか開扉されない秘仏で未確認だが、諸国の庚申信仰の根本像である可能性が高い。
延宝8年(1680)の庚申の年に先立つ延宝5年(1677)に信者が結縁し寄進したこの刺繍画像は、根本像の写しとして制作されたと考えられる。
青面金剛の像容は『陀羅尼集経』に一面四臂(ひ)像として説かれるが、この画像では一面六臂である。画面上方に大きく中尊を描き、周囲に鬼卒、童子、三猿の眷属を従え、曼荼羅の様相を呈している。諸国庚申の本寺に対する厚い信仰をものがたる画像である。
こういう病魔青面金剛の絵姿の前で、高僧や修験者がゴマを焚いて祈祷し病魔と念力較べをする。
祈祷が勝てば、病魔が退散して病気が治るが、病魔が勝てば、祈祷者は脂汗を流しついには泡を吹いて失神して数ヶ月間正気に戻らないようなことも起きる。
危険なので修行を積んだ専門家以外の素人は扱うことが出来ず、この絵は普段は鍵の掛かる部屋に厳重保管しておくなどされたようです。
密教系の「秘仏」は、たいていこのようなものだったのでしょう。
そうこうするうちに、青面金剛は悪鬼(夜叉)から昇格して明王になります。
病魔駆除の特性を肥大させて。
これがどうやら、日本独自の進化の過程のようなのです。
詳細が分からないところが、謎めいていますね。
以下、次項。