にこたろう読書室の日乗

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0530 起床 気分快 晴 「民俗学」を定義します。『石神問答』あるいは、柳田がとりあえずたどり着いた仮説について。

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昨日は、鷹番町の道端の道祖神みたいなもの(馬頭観音と呼ばれています)をご紹介しました。

こういうものは、東京(かつての江戸ね)の、そこかしこにいまだに残っていて、しかも現役の聖地として信仰の対象である場合が多いです。

 

江戸時代には、将軍様とかお武家様の権威者側の信仰と並んで、名もない庶民たちの路傍の祈りがしっかりと根付いていました。

 

 

こういう本があります。

 

柳田國男全集』は手放してしまいましたが、オンラインで読めます。

とても読みにくいけど。

 

ここから読むことができます。

 

『石神問答』 (日本文化名著選 ; 第2輯 第14) 

石神問答 (日本文化名著選 ; 第2輯 第14) - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

柳田國男 著 出版者 創元社 出版年月日 昭和16

 

 

「石神問答」は、柳田國男が数人の民俗研究者との間で交わした往復書簡を一冊の本にまとめたものです。

それらの書簡は合わせて三十四にのぼり、交わした相手は、山中笑はじめ八名です。

 

これらは本の出版日である明治四十三年からさかのぼる余り遠くない時期に交わされたと思われ、その時期はあたかも『遠野物語』の執筆時期とだいたい重なっています。

そんなこともあって、『遠野物語』と同じような問題意識に貫かれていて、日本の各地に残っている淫祠と言われるものの、起源や分布、現代の日本人へのかかわりあいなどを明らかにしたいというものでした。

 

 

石神はシャクジとも読みます。

路傍の石のモニュメントのこと。

 

こういうものに、民族の忘れ去られそうな情念のありようを探ろうとする学問。

これを柳田は「民俗学」と呼んだわけですね。

 

民俗学」とは:

 

現代人が無意識のうちに行っていること、あるいは合理的な説明をつけながら行っていることのなかに、つまり「日常」のなかに、歴史的・呪術的な、つまり「非日常」な意味を見出すという思考の形である。

 

文化人類学と対比して、あえて「民族」学ではなく「民俗」学と表記する意気というかこだわりのようなものが、ここには感じられます。

 

柳田の思想は、なかなか一筋縄ではまとめきれないのですが、こんな感じ?

 

柳田がとりあえずたどり着いた仮説は、シャクジといい、イシガミといい道祖神といい、いづれも民衆の古い信仰の現れであって、それはある限りの神を頼んで里の守護を任せるというような思いを込めたものだということになる。

しかして里の守護とは、災厄から里を守って欲しいという願いをこめたものであるが、その災厄には無論疫病も含まれていた。

しかし、もっと大事なことは、われわれの祖先が里にやって来た時に、すでそこに住んでいた原住民ともいうべき人々との関わり合いのようなものが認められるということである。

その原住民との境界を確定し、その境界から外側と、境界から内側である里との区別を明確にするために、シャクジ以下の祠を立てるとともに、その祠に里の平安への願いを込めたのではないか、そう柳田は考えたようなのである。

 

柳田の個人的な能力と才能が、この学問の成立に少なからず影響を及ぼしていることが、彼の経歴を見ても分かります。

 

こんな感じ。

 

柳田は官吏として初め農政に携わったことから、地方農山漁村民の生涯に大きな力を及ぼしている諸民俗の研究に至ったものと思われる。

その旺盛な読書力をもってあらゆる関係古書を渉猟し、内閣文庫(現、国立公文書館所蔵)の浩瀚な貴重書もすべて彼の目に触れぬものはなかったといわれる。

地方の視察、指導のため、全国各地に出張し、民俗の実情に触れる機会も多く、官途を辞し朝日新聞社に関係した際など、全国北から南までの大旅行に日々を送り、民俗の生きた姿に深く魅了された。

 

 

西洋における民族学・人類学系の学問は、その発祥時点において、文明社会から未開社会を評価する、みたいな、ちょっと上から目線で見ているのですが、柳田民俗学は、「庶民の力・妹(いも)の力」みたいなものをリスペクトしている(ように見える)ので、彼の思想はその後のわが国の思想界において、右からも左からも支持とリスペクトを受けました。

 

これは聖徳太子がやはりそうであったように、日本人の独特な価値観に裏うちされているように思えますね。

 

ちょっと見、よくわからないからかな。

 

分からないものは、とりあえず敬っておく、という忖度が日本人にはありますからね。

とても面白い現象であると思います。