にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 五月晴れ 「読書室」について話します

入院中、夜はほぼ0時に寝て、朝は6時に起きる習慣。

 これ迄より、1時間くらい起床が遅いが、いかがなものか。

今日は快晴

この窓から空を見るのも、あと残すところ一週間。

 

この日記の使い方ですが、取り敢えず朝起きたらスマホでタイトルだけ書いて生存のアピール報告、本文内容は断続的に編集で追記していくのが良いかも。

今日の憲法記念日は、救急搬送、緊急入院から81日目にあたります。来週の5/11が退院予定日なので、89日入院したことになるはずです。

 

リンク欄に、歌集を2冊、昔のホームページ、作成中の帝国海軍艦艇終焉地を記載。個人の覚えですが、興味のある方はご覧ください。

スマホからだとサイドバーのリンクメニューはPCモードでないと見えないかも、です。

 

この前TVで観ましたが、2014年のこと、油小路五条上ルにある本草学の大家、山本亡羊の自宅の読書室跡の土蔵より貴重な史料が大量に発見されました。禁門の変の大火にも耐えて史料を残してくれた蔵なのです。

山本読書室は、儒医山本封山(やまもと・ほうざん)が江戸時代後期に開いた私塾。「博物学的理系」の書物や標本が大量にあることは以前から知られていましたが、今回の新発見はそれとは違い、幕末から明治初期に岩倉具視に仕えていたの山本家当主が残した手紙の類。特に、薩摩、長州、幕府要人から岩倉に宛てられた直筆書簡が60数点発見されたそうです。

天明4年(1784年)から慶応3年(1867年)まで83年間の入門者は1600名余。塾の特色をなす博物研究会「読書室物産会」は文化5年(1808年)から慶応3年まで60年間に通算51回も開催され、日本の博物学の拠点となっていた場所でもある。

 

この「読書室」という言葉のセンスがいいですね。弟子をはじめいろいろな好事家が集まって、遊ぶように真剣に、学び、議論し、愉しんだサロン。古本屋の乱雑な倉庫に、博物と称するガラクタの山。濃密な学問の遊び。いい人生だなあ。

というわけで、「にこたろう読書室」の開場です。