血圧値 124/86/72 酸素飽和度 98% 体温 36.1℃ 体重 68.7キロ 運勢 Death
今日は「氷川女体(體)神社」というところに来ています。
なんか凄い名前ですが、日光に「男体山」というものもありますから、まあ、普通の言い方なのでしょう。
「女神様」を祭るところ、という意味です。




扁額に「武藏国一宮」と書いてありますね、ふつうこれは大宮の氷川神社を指す言葉ですが、ここも同格である、と言っているのです。つまり、セットになっている。
その女神さまとは、「奇稲田姫命」で、素戔嗚尊(須佐之男命)の奥さんです。
クシナダヒメ(櫛名田比売、奇稲田姫、稲田媛、眞髪觸奇稲田媛、久志伊奈太美等与麻奴良比売)は、いろいろな表記をされる、日本神話に登場する女神です。
足名椎(あしなずち)・手名椎(てなずち)の娘。
神話的ストーリーはこんな感じ。
記紀神話で、八岐大蛇(やまたのおろち)への供犠として差し出されようとしたところを素戔嗚尊(すさのおのみこと)の助けを得、櫛(くし)に変じて救われる。尊の大蛇退治ののち、その妻となって八島士奴美神(やしましぬみのかみ)を生む。
元来「くし」という語は霊妙な働きを意味し、名義からは稲田にあって田の神に奉仕する聖なる巫女の内容を表す。
水神であった大蛇の信仰の衰退によりその性質を変え、大蛇を祀る女から供犠(いけにえ)となって、さらに新しい文化神である素戔嗚尊の妻に変貌したものと考えられる。
『出雲国風土記』にみえる久志伊奈太美等与麻奴良比売(くしいなだみとあたわすまぬらひめ)も、関連のある存在であろう。松江市の八重垣神社には、奇稲田姫命の古い絵画が残されている。


この「古い絵画」は日本の神様のビジュアルとしてはとても有名なものです。
どう観ても「平安美人」のプロトタイプですね。
AI好みのニュアンスはこんな感じかな。

氷川女体神社のある場所は、埼玉県の三室の「見沼」というところ。
縄文海進の時代、東京湾から海がずっと内陸まで入っていて、そのあと海退するとこの辺りは大きな水たまりのような地帯となりました。
その内水面を「御沼・見沼・みぬま」と呼ぶのです。
その水もさらに引くと、この辺りに見られるように平らな農地になっていきます。
なのでところどころに「沼(調整池も)」が残っています。
江戸時代にここに「見沼代用水」というのが掘削されたのが有名ですね。
埼玉の小学生は全員授業で習います。

上の地図で、おさらいしましょう。
縄文時代には古芝川が大宮台地を浸食した谷に、奥東京湾が入り込んでいました。
このため、この地の周辺には貝塚が点在しています。
奥東京湾は弥生時代に入ると海岸線が後退し(海退という)、見沼・入江沼・鳩沼・深作沼(鶴巻沼)など多数の沼がつながる広大な沼沢地となりました。
見沼は三沼・箕沼・御沼とも表され、Y字型で3方向に湾曲して伸び、岬や入江も多い複雑な地形でした。
「氷川神社」はそもそもこの沼の水神を祀ったことから始まったとする説があり、沼岸には大宮氷川神社・中氷川神社(現中山神社)・氷川女体神社の3つの重要な神社があります。
上の地図をよく見ると三つの⛩マークが見えますね。
一番南に位置するのが今回訪れている「氷川女体神社」です。



「氷川女体神社」(正式には旧字体の「氷川女體神社」)
旧社格は郷社で、旧三室村の鎮守。
かつての当地は三室村と呼ばれた一帯で、現在も「三室の女体様」と呼ばれ崇敬を集めています。
多くの文化財が所蔵されている事から「武蔵野の正倉院」などと称されることもあります。
氷川神社の総本社「武蔵一宮氷川神社(主祭神:素戔嗚尊)」が男体社、対して当社は女体社とされます。
大己貴神(オオナムチ)は出雲神話の最大のヒーロー、大国主(オオクニヌシ)の別名として扱われます。
古事記を読む限りは「大国主の子供の頃の名前」です。日本書紀ではほぼ「オオナムチ」で一貫しています。スサノオとクシナダヒメの孫(または子供)とされています。
三穂津姫(ミホツヒメ)は日本書紀に登場し、オオクニヌシの正妻となったとされています。オオクニヌシの正妻と言えば古事記ではスサノオの娘スセリヒメですが、日本書紀では国譲りを終えたオオクニヌシにタカミムスビが娘を娶るように勧めたとなっています。
これらの神様たちが「氷川ファミリー」です。
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このあと、神社の南側にある古代祭祀の遺跡を観てみましょう。
以下次号。