血圧値 127/88/72 酸素飽和度 99% 体温 36.3℃ 体重 67.6キロ
昨日は、若草山の枯れ草が燃えなくて困る話でしたが。
東京はやたら火事が起きますね。
窓の外を通るの消防車のサイレンもひっきりなしだし。
「火事ですか、救急ですか?!」
1月13日午後2時過ぎ。東京23区内の通報を集約する総合指令室「災害救急情報センター」(東京都千代田区)では、救急車要請の通報を知らせる緑のランプがあちこちでひっきりなしに点滅していた。職員らは息つく間もなく、卓上のモニターをにらみながら次々と通報を処理していく。藤野祐三消防司令補は「通報が鳴りやまない状況が昨年からずっと続いている」と明かした。
東京消防庁が2022年に受けた119番の件数は、速報値で103万6645件(前年比約13万8000件増)となり、現在の集計方法になった15年以降で初めて100万件を超え、最多となった。(これはもちろん救急車出動を含むけど。)
火事に限って言えば、ちょっと前の令和3年(1~12月)における状況(確定値)は全国でこんな感じ。
① 総出火件数は 35,222 件、前年より 531 件の増加
総出火件数は、35,222 件で、前年より 531 件増加(+1.5%)しています。火災種別でみますと、建物火災が 184 件増加、林野火災が 12 件減少、車両火災が 46 件増加、船舶火災が 15 件減少、航空機火災が増減なし、その他火災が 328 件増加しています。
② 総死者数は 1,417 人、前年より 91 人の増加
火災による総死者数は、1,417 人で、前年より 91 人増加(+6.9%)しています。負傷者数は、5,433 人で、前年より 150 人減少(-2.7%)しています。
③ 住宅火災による死者(放火自殺者等を除く。)数は 966 人、前年より 67 人の増加
住宅火災による総死者(放火自殺者等を除く。)数は 966 人で、前年より 67 人増加
(+7.5%)しています。このうち 65 歳以上の高齢者は 716 人で、前年より 71 人増加(+11.0%)し、住宅火災による死者(放火自殺者等を除く。)数の 74.1%を占めています。
④ 出火原因の第 1 位は「たばこ」、第 2 位は「たき火」です。
総出火件数の 35,222 件を出火原因別にみると、「たばこ」3,042 件(8.6%)、「たき火」
2,764 件(7.8%)、「こんろ」2,678 件(7.6%)、「放火」2,333 件(6.6%)、「電気機器」1,816件(5.2%)の順となっています。また、「放火」及び「放火の疑い」を合わせると 3,888件(11.0%)となっています。
「寝たばこ」って、今でもそんなにするものなのかな?
僕は吸わないので、ピンとこないけど。昔から、よく聞きますね。
ガスコンロって、鉄鍋とか空焼きするとき消し忘れて、たまに点けっぱなしにするけど、自動的に消えてるなあ。(そういう仕組み。)
でも一応危ないのか。気をつけよう。
と、いうことで。
この前、目黒駅から行人坂という凄く急な坂を、目黒雅叙園に向かって降りていき、「大圓(円)寺」というお寺に立ち寄りました。この坂、最大斜度は20%。
下から上への一方通行なので車が上から来ることはないが、通行人と車はけっこう多いです。雪でも降れば、スキーができそうです。
この行人坂というのは、江戸時代に権之助坂が開かれる前は、二子道として、江戸市中から目黒筋に通じる大切な道路でした。
今は権之助坂の方が広くてにぎやかな幹線道で、目黒駅から大鳥神社前を通って、鷹番方面へ繋がるバス通りになってます。
昔の道路は、江戸市中から白金を通り、行人坂をくだって太鼓橋を渡り大鳥神社の前に抜けていました。
この道があまりにも急坂で、しかも回り道をしていたので、中目黒の田道の菅沼権之助という名主が現在の権之助坂を開き、当時この坂を新坂、そして目黒川にかかる橋を新橋と呼んでいたのです。一説によると権之助は、許可なく新坂を切り開いたのを罪に問われたといわれていますが、ちょっと怪しい点のある話です。
「江戸名所図会」には「目黒へ下る坂をいふ。寛永の頃、湯殿山の行者某、大日如来の堂を建立し、大円寺と号す」とある。
行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が大日如来堂(現大円寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったのでつけられたといいます。
火事繋がりでなぜこのお寺の巡行の話をするかというと、じつはこの坂が「振袖火事」「車町火事」と並ぶ江戸三大火のひとつ「行人坂火事」として知られているからです。
「行人坂火事」は明和9年(1772年)2月、行人坂の大円寺から出た火が延焼し、3日間も燃え続けたというもので、明和9年の出来事であったため、風聞で「めいわくの年」だからと言われたため、幕府は年号を「安永」と改めたといわれています。
改元のきっかけにもなった大変な大火事だったのです。
以下、次項。