にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0630 起床 雨 【映画の中の列車】【ある昭和の7つの映像・番外編】⑲ 『新幹線大爆破』

血圧値 105/77/77 酸素飽和度 98% 体温 36.2℃ 体重 66.0キロ 運勢 The High Priestess

 

さて、『新幹線大爆破』のお話です。

昭和日本の復興と高度経済成長のシンボル。

夢の超特急「ひかり」号。

それに、「爆弾を仕掛ける。」という、とんでもない映画です。

 

 

これは【ある昭和の7つの映像】にも、本来エントリーすべき一本だったのかもしれません。

なので、今回はダブルエントリー扱いといたします。

 

最近、リブート版がNetflixで配信されました。

草彅剛さん、のんさん出演。樋口真嗣監督。

 

新幹線大爆破

 

こちらは東北新幹線を舞台にした2025年版。

 

JR東日本の特別協力を得て、実際の東北新幹線を使った撮影まで行われました。

50年前とは、ずいぶん時代が変わりましたね。

 

ということで、今回は高倉健さん主演の1975年版です。

 

 

『新幹線大爆破』。

監督・佐藤純彌。

主演・高倉健。

 

ミステリーではありません。

犯人も最初から分かっています。だから、ネタバレを気にする必要もありません。

むしろ面白いのは、「この映画は、どうやって撮ったのか?」というところなんです。

なにしろ、国鉄が協力してくれなかった。

当時の新幹線は、日本の高度経済成長そのもの。「安全神話」の象徴でもありました。

そこへ、「新幹線に爆弾を仕掛けた」という映画です。

国鉄からすれば、「そんな映画に協力できるか。」

まあ、そうでしょうね。

 

国鉄に断られた。

では、撮れない。

ならば、別の方法で撮る。

この映画には、そんな執念のようなものが漂っています。

たとえば、ロケ交渉。

『新幹線大爆破』というタイトルを出したら門前払いされる。

そこで別タイトルのシナリオを用意して、ロケ先に持っていく。

 

「大捜査網」。

まあ、なんとも苦肉の策です。

 

劇中、見せしめとして本当に爆破される蒸気機関車の走行シーンは、国鉄ではない民鉄の専用線を利用する。

 

 

貨物駅のシーンは秩父鉄道。

線路を走る場面などでは西武鉄道の協力を得る。

 

そして新幹線の車内。

これがまた凄い。

「本物そっくりのセットを作ろう。」ではなく、

「できるだけ本物そのものを作ろう。」

当時実際に国鉄へ納入していたメーカーから、椅子や壁面、網棚などの部品を調達して、原寸大の車内を再現した。

 

 

国鉄に協力してもらえない。だから、国鉄が使っているものを調べて、国鉄と同じようなものを自分たちで作る。

なんだか、意地の張り合いです。

そして、これが映画を支えることになる。

 

この作品を観ていて、「なんだ、これはセットだな。」と思わせない。

本当に新幹線に乗っているように見える。

だからこそ、爆弾が仕掛けられている、という設定が怖い。

 

さて、物語です。

 

午前9時48分。

約1500人の乗客を乗せた東京発博多行き「ひかり109号」が東京駅を出発します。

しばらくして国鉄本社に電話が入る。

109号に爆弾を仕掛けた。しかも、時速80キロ以下に減速すると爆発する。

つまり、止まれない。

 

新幹線なのに、「速く走ること」が安全ではなく、「走り続けること」そのものが生存条件になる。

ここが、この映画の最大のアイデアでしょう。

普通の列車なら、危険があれば止めればいい。

ところが、この列車は違う。

止まったら、爆発する。

だから運転指令長も、運転士も、警察も、国鉄幹部も、「どうやって止めるか」ではなく、「どうやって止めずに、乗客を救うか」を考えなければならない。

 

 

危機一髪、上り・下りすれ違いのシーン!

0系懐かしいですね。僕が修学旅行で最初に乗った新幹線も、これでした。

 

これは、ものすごく日本的な映画でもあると思います。

組織がある。

規則がある。

安全システムがある。

それなのに、そのシステムそのものを逆手に取られてしまう。

 

 

そして、もう一つ。

この映画では、犯人たちも単純な「悪人」ではありません。

高倉健さん演じる沖田哲男。工員の大城。元過激派の古賀。

彼らがなぜ、こんな犯罪に走ったのか。

映画はそこをかなり丁寧に描きます。

 

 

貧困。失業。高度経済成長から取り残された人々。学生運動の挫折。町工場。売血。

昭和40年代から50年代にかけての日本社会の、「光の当たらなかった場所」が、犯人たちの側から見えてくる。

 

だから、この映画は単純なパニック映画ではありません。

新幹線という、「日本の未来」を走る乗り物の中に、その未来からこぼれ落ちた人間たちが、爆弾を仕掛ける。

 

これは、かなり皮肉な構図です。

夢の超特急。高度経済成長。東京から博多まで、ひたすら西へ走る。

その車内に、「この経済成長の恩恵を受けられなかった人間」がいる。

そう考えると、『新幹線大爆破』というタイトルは、新幹線を爆破する映画であると同時に、高度経済成長という「昭和の夢」に、爆弾を仕掛けた映画なのかもしれません。

 

 

こうなったら大惨事、という想定シーンは模型で撮影しました。

 

 

実際の運航開始当初、新幹線にはしょっちゅう爆破予告の電話が絶えなかったそうで、その時期にこの映画の企画ですから、国鉄側が喜ぶはずはありませんでした。

「真似されたらどうするんだ!」

 

そして、この映画にはもう一つ、面白いところがあります。

 

公開当時の日本では、必ずしも大ヒットしたわけではありませんでした。

ところが、その後、海外で評価される。

とりわけフランスでは大きな反響を呼び、海外版が作られました。

そして年月が経つにつれて、「これは凄い映画だったのではないか。」と、日本でも再評価されていく。

1975年のキネマ旬報ベスト・テンでは7位。

ところが読者選出では1位。

 

映画評論家と映画ファンとの間にも、ちょっとした温度差があったわけです。

 

そして、1994年。

ハリウッドで、『スピード』。

 

 

バスが一定速度以下になると爆発する。

あの有名な設定です。

もちろん『スピード』と『新幹線大爆破』は別の映画です。

ただ、「速度が落ちたら爆発する」という核心的なアイデアについては、後の『スピード』への影響が指摘されています。

ヤン・デ・ボン監督が『暴走機関車』と『新幹線大爆破』を『スピード』のインスピレーション源にしたと説明しています。

つまり、1975年。日本では、「新幹線に爆弾なんか仕掛ける映画を作って大丈夫なのか。」と言われた映画が、やがて海を渡り、世界的なアクション映画の源流の一つとして見直されていく。

 

なんとも不思議な運命です。

 

そして、僕がこの映画で一番面白いと思うのは、「本物が撮れなかったこと」そのものかもしれません。

国鉄が協力してくれない。新幹線を自由に撮影できない。司令室の資料ももらえない。

だから、スタッフが知恵を絞る。

別の鉄道会社を探す。実物部品を集める。セットを作る。資料がなければ、なんとかして調べる。

結果として、「本物の新幹線を撮った映画」ではなく、「本物の新幹線が撮れないから、映画の中に“新幹線そのもの”を作ってしまった映画」になった。

 

これは、映画の面白さですね。

制約があるから、想像力が働く。

そして50年後。

 

2025年のリブート版では、逆にJR東日本が協力する。

実際の東北新幹線を撮影に使う。運転士や車掌、アテンダントの所作まで社員が指導する。50年前とは、まったく逆の世界です。

 

1975年。鉄道会社が映画を警戒した。

2025年。鉄道会社が映画に協力した。

同じ『新幹線大爆破』なのに、その50年間で、日本と鉄道と映画の関係まで変わってしまった。

ここが、とても興味深い。

 

そして最後に。

 

『新幹線大爆破』は、「新幹線に爆弾を仕掛けた映画」だけではないと思います。

これは、高度経済成長という日本の「成功物語」の、その裏側を描いた映画。

そして、「夢の超特急」を止めてしまうのではなく、走り続けさせることでしか乗客を救えないという、猛烈に皮肉な映画。

さらに言えば、「本物を撮れない」という制約の中で、映画そのものの力で「本物らしさ」を作り上げた映画。

 

そう考えると、1975年の『新幹線大爆破』は、いま観ても、とても興味深い。

 

さて。

ここまで、『上海特急』――列車=異世界。

『バルカン超特急』――列車=密室。

『オリエント急行殺人事件』――列車=社会。

と来ました。

そして、ここで、『新幹線大爆破』――列車=社会そのもの。

いや、列車=日本そのもの。とまで言ってしまっても、いいのかもしれません。

 

50年前の「夢の超特急」。

その車内には、昭和という時代そのものが乗っていたのです。