にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 晴 「伏見稲荷」の竹林落書き問題。定義、「ヒトは落書きをする動物である」( HUMAN : The Graffiti Animal )

血圧値 132/85/74 酸素飽和度 98% 体温 36.0℃ 体重 68.2キロ 運勢 The Star :R

 

大変迷惑なことです。

なぜこういうことをするのだろう。

日本語のものもあるらしい。

 

「先祖代々の土地を…」伏見稲荷大社周辺で竹林の落書き被害少なくとも数百本 所有者怒り

 

人気の観光スポットとして知られる「伏見稲荷大社」(京都市伏見区)周辺で、竹の幹を鋭利な物で傷付ける落書き被害が多発していることが6日、分かった。

被害は少なくとも数百本に及ぶほか、外国語での落書きが目立つといい、竹林の所有者は憤りを隠さない。京都市内の他の観光地の竹林でも同様の被害が相次ぎ、一部を伐採するなどの対策が取られたが、私有地が多い伏見稲荷大社周辺では抜本的な対応が難しいという。

 

この「伏見稲荷」、近年は外国人観光客からも観光地として人気があり、トリップアドバイザーによる2013年の「外国人に人気の日本の観光スポット」調査では2位を、2014年の調査では広島平和記念資料館を抜いて1位を獲得。

その後も2019年まで6年連続で1位となっているそうです。

 

僕も昔行ったことがあります。

 

 

駅のごく近くに赤い鳥居が続く非常に日本的な風景が広がり、拝観料不要で閉門時間が無く、稲荷山のお山巡りで欧米人が好むウォーキングができることなどから高評価を得ているとされる。

 

 

平日のほとんどの日で外国人観光客の方が日本人よりも多くなっており、日没後も稲荷山に登る外国人が多くなっている。なお、本殿付近はライトアップされており、稲荷山への参道も脇道以外は全区間で街灯が一晩中点灯されており夜間の参拝も容易である。

ちょっとサービス過剰かな。

 

神社って夜行くのはタブー視されていたけど、率先して夜間参拝ツアーをセットしたりしているのはどうなのでしょうか。

 

 

 

「ヒトは落書きをする動物である、所かまわず」

 

観光地の竹林に刻まれた名前、駅のトイレの落書き、あるいは小学校の机の隅に彫り込まれた謎のキャラクター。

私たちは、なぜこれほどまでに「余白」を埋めずにはいられないのでしょうか。この奇妙な習性は、時空をまたいで、ひろく人類の根源の欲求に関わっているものなのではないか。

 

 

人類の歴史を振り返れば、私たちは数万年前から洞窟の壁に牛や馬を描き続けてきました。フランスのラスコー洞穴の絵画も、言ってみれば「人類最古の落書き」です。

世界史の教科書で見ましたね。

 

 

古代ローマの遺跡ポンペイに行けば、当時の人々が書き残した「〇〇がここに来た」「この宿のワインはひどい」といった、現代のネット掲示板と変わらない内容の落書きが山ほど見つかるそうです。

 

 

結局のところ、落書きの本質は「私はここにいた」という切実な生存証明(アイデンティティの主張)に他なりません。どれだけ文明が進んでも、自分の存在を何かに刻みつけたいという野生的な衝動は、私たちのDNAに深く刻まれているのです。

 

落書きの最大の特徴は、それが「書いてはいけない場所」に書かれることです。

 

支配からの解放: 公共の場所や、整然とした空間を自分の印で汚すことは、一種の権威への抵抗であり、その場所を「自分のもの」にする行為です。

匿名性の解放感: 誰にも見られていない(はずの)場所で、誰かに向けてメッセージを放つ。この矛盾したコミュニケーションが、日常のストレスから私たちを解放してくれます。

 

現代では、この衝動はデジタル空間へと姿を変えました。匿名掲示板やSNSのコメント欄は、いわば「公園のベンチ」です。私たちは今も、実社会という「壁」に、誰にも言えない本音という名の落書きを続けています。

 

壁に落書き、といえばこれ。

 

 

かつてはただの落書き(グラフィティ)とされていたものが、バンクシーのように数億円で取引されるアートへと昇華されることもあります。

一方で、誰かにとっての「表現」は、別の誰かにとっての「不快な汚れ」でしかありません。

 

「所かまわず」落書きをするという行為は、私たちがただの生物ではなく、「意味を残したい」と願う知的で孤独な動物である証拠です。

でも、他人に迷惑をかけてはいけない。

 

ヒトを定義します。

 

「ヒトは落書きをする動物である」( HUMAN : The Graffiti Animal )