にこたろう読書室の日乗

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0540 起床 気分快 晴 寿福寺巡行【見て・歩いて・よろこぶもの】⑦前編 蛇崩川暗渠流域から鎌倉道をたどります。

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昨日は、ちょっと散歩のルートを開拓して、東横線祐天寺駅から西へ向かいました。

 

この道は、僕の主治医である三宿病院の脳外科にいつも行くルートなので、とくに目新しくはないのですが、今回はちょっと目的があります。

 

祐天寺駅から五本木通りに向かう道は坂を降りてまた登ります。これは蛇崩川の支流の一つが通っていた谷筋を越えるからです。

 

そして五本木通りを越えてまた坂を降りると、古くからの鎌倉道のひとつに行き当たります。

この道は、赤羽あたりから、山手線の内側を並走して、目黒川を越えてから野沢通りに入り、今居る辺りから碑文谷で目黒通りに合流して、二子玉川から多摩川を渡ります。

 

東京の古道めぐりについては、この本がとてもためになります。

 

また、以下の地図を参照。

 

鎌倉街道 中道 本道 駒繋神社・芦毛塚ルート

www.google.com

 

ここに面白い石碑が立っています。

 

こんな感じで、道の真ん中に、ロータリー状態で存在。

この道が鎌倉道で、この遺跡は「葦毛塚」と呼ばれています。

 

この塚については諸説があるようですが、『江戸名所図会』・『新編武蔵風土記稿』には「頼朝が乗っていた芦毛の馬が死んだので埋葬した」という話が記されています。

『図会』を確認しましたが、「絵」は載っていませんでした。表記は「足毛塚」。

 

言い伝えはこんな感じ。

 

奥州藤原氏を討ち果たし鎌倉への帰る途中のこと。頼朝の愛馬「芦毛」は鎌倉道を目黒あたりまでくると、いつになく歩みが遅くなります。折からの長雨で大蛇が狂うと言われる蛇崩川は増水し、渦をまきつつ流れていました。洪水のたびに崩れるといわれる崖にさしかかったとき、芦毛はバランスを崩して崖の土とともに川に落ちてしまいます。
ヒヒンと一声、頼朝公に別れをつげると、川にのまれてしまいました。臣たちが名を呼びながらやっとの思いで引き上げましたが、もう息絶えていました。頼朝公の意向で村人たちが塚を作り、花で飾り、芦毛塚と書いた墓標をたてたということです。

 

この先、蛇崩交差点から、台地の上に向かう左の道が野沢通りです。これが鎌倉道の本線。右の坂道は中目黒駅方面へ向かう伊勢脇通りです。

 

野沢通りのこの辺りの登りは「半兵衛坂」と言います。

 

この坂を登り切ったあたりの高台に、名刹寿福寺があります。

 

以下、後編に続きます。