血圧値114/80/78 酸素飽和度98% 体温36.4℃ 体重 66.9キロ
今朝はとても湿度が高いです。
昨日、昔からの友人S君から、メッセージ電話をもらい、2年半振りに話しました。
ずっと繋がらないので、心配してくれていました。(ガラ携の人なので!)
ありがとうございます。
舞鶴・北滋賀の旅の記録の続きです。⑧は、赤れんが博物館でおおいに勉強をし、舞鶴最後のお酒を頂く、です。
【10月2日(日)その2】
東郷邸の近くに旧官舎の建物が二つ残っています。
舞鶴鎮守府特一号・二号官舎。
東郷邸もそうでしたが、鬼瓦には海軍のアイコンである「金の錨のマーク」が付いてます。
東郷邸からちょっと坂を降りたところ。
ここに水交社があったのですが、今は門だけが残っています。
水交社とは旧帝国海軍の士官倶楽部のようなものです。
1876年(明治9年)3月1日に海軍省の外郭団体として創設された日本海軍将校の親睦・研究団体である。名称の由来は『荘子』の「君子之交淡若水」から採用命名された。
海軍士官専用の旅館や喫茶店なども経営し、会員と施設利用は海軍士官・高等文官・士官候補生などの海軍幹部関係者に限定だった。
さて、ここから歩いて赤れんが倉庫群に戻ります。
何度も通った一角ですが、まだ博物館の中身は見ていません。
赤れんがパーク内の建物は、舞鶴鎮守府の軍需品等の保管倉庫として、明治33 年(1900 年)に着手されて以来、大正10 年(1921年)までに次々と建築されました。
日本海海戦が行われたのが明治38 年(1905 年)ですから、まさに当時の日本の国勢が伺えるといえます。
博物館を含め8棟の赤れんが倉庫があります。赤れんが博物館は1号棟です。
この棟は現存する最古級の鉄骨れんが建造物で、明治36年に建設された魚雷庫を活用しています。現存する鉄骨れんが造りの建物としてはたいへん貴重なもので、国の重要文化財。館内ではれんがの歴史、世界各国の鉄骨れんがなどを展示しています。
復元ジオラマがあります。
たしかに魚形水雷(魚雷)が並んでますね。
戦時中の技術は、戦後日本の発展に受け継がれたのでした。
工廠の様子。現在もかなり良く残っているのですが、見学することはできません。
今の造船所の守衛さんに聞いて見たけど、「事前の許可がないと・・・」というお返事。残念。
。
軍港への物資の流通のルートは、海路から陸路へ。
例のトンネルとか、鉄橋とか、線路とか。
面白いのは、良質な鉄鋼材はアメリカのカーネギー社から買っていることです。
「Carnegie」の刻印がある線路とか、窓の鉄格子も展示されてます。
世界史における、重要なレンガのサンプルというのが、実にたくさん系統的にサンプリングされていて、とても興味深いですが、これはぜひ訪れて、直接見てください。
メソポタミア文明の日干しレンガ、インダス文明の火焼きレンガなどなど、この技術が僕たちの人類史にいかに深くかかわってきたかが、良くわかります。
凄く勉強してくたびれたので、またとことこ廃線跡遊歩道をホテルまで戻り、シャワーを浴びてから、今晩のお店に向かいます。
舞鶴最後のお酒は。
割烹 松きち - かになど冬の食材を堪能 (gorp.jp)
バイ貝の突き出し。
西舞鶴港にあがる、季節のお魚。
丹後は水、酒米にも恵まれ。美味しい地酒が豊富。
とても品の良い、肉じゃが。
骨まで美味しい、カレイの揚げ物。
このように、舞鶴最後の夜は、暮れてゆくのでありました。
次回、もう一度この町を訪れることがあったら、ぜひ行きたいところがあります。
その前を通って、帰ります。
明日は、小浜線に乗って東進し、敦賀経由で琵琶湖のほとりの水の町、高島の新旭というところに向かいます。