にこたろう読書室の日乗

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0600 起床 気分快 曇 舞鶴・北滋賀遠征記録⑧赤れんが博物館でおおいに勉強をし、おおいに舞鶴最後のお酒を頂く話。

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今朝はとても湿度が高いです。

 

昨日、昔からの友人S君から、メッセージ電話をもらい、2年半振りに話しました。
ずっと繋がらないので、心配してくれていました。(ガラ携の人なので!)

 

ありがとうございます。

 

舞鶴・北滋賀の旅の記録の続きです。⑧は、赤れんが博物館でおおいに勉強をし、舞鶴最後のお酒を頂く、です。

 

【10月2日(日)その2

 

東郷邸の近くに旧官舎の建物が二つ残っています。

舞鶴鎮守府特一号・二号官舎。

 

東郷邸もそうでしたが、鬼瓦には海軍のアイコンである「金の錨のマーク」が付いてます。

 

東郷邸からちょっと坂を降りたところ。

ここに水交社があったのですが、今は門だけが残っています。

 

水交社とは旧帝国海軍の士官倶楽部のようなものです。

 

1876年(明治9年)3月1日に海軍省の外郭団体として創設された日本海軍将校の親睦・研究団体である。名称の由来は『荘子の「君子之交淡若水」から採用命名された。

海軍士官専用の旅館喫茶店なども経営し、会員と施設利用は海軍士官高等文官士官候補生などの海軍幹部関係者に限定だった。

 

さて、ここから歩いて赤れんが倉庫群に戻ります。

何度も通った一角ですが、まだ博物館の中身は見ていません。

 

赤れんがパーク内の建物は、舞鶴鎮守府の軍需品等の保管倉庫として、明治33 年(1900 年)に着手されて以来、大正10 年(1921年)までに次々と建築されました。
日本海海戦が行われたのが明治38 年(1905 年)ですから、まさに当時の日本の国勢が伺えるといえます。

 

 

博物館を含め8棟の赤れんが倉庫があります。赤れんが博物館は1号棟です。

この棟は現存する最古級の鉄骨れんが建造物で、明治36年に建設された魚雷庫を活用しています。現存する鉄骨れんが造りの建物としてはたいへん貴重なもので、国の重要文化財。館内ではれんがの歴史、世界各国の鉄骨れんがなどを展示しています。

 

復元ジオラマがあります。

たしかに魚形水雷(魚雷)が並んでますね。

海軍工廠終戦後の様子です。

戦時中の技術は、戦後日本の発展に受け継がれたのでした。

工廠の様子。現在もかなり良く残っているのですが、見学することはできません。

今の造船所の守衛さんに聞いて見たけど、「事前の許可がないと・・・」というお返事。残念。

 

軍港への物資の流通のルートは、海路から陸路へ。

 

例のトンネルとか、鉄橋とか、線路とか。

 

面白いのは、良質な鉄鋼材はアメリカのカーネギー社から買っていることです。

Carnegie」の刻印がある線路とか、窓の鉄格子も展示されてます。

世界史における、重要なレンガのサンプルというのが、実にたくさん系統的にサンプリングされていて、とても興味深いですが、これはぜひ訪れて、直接見てください。

メソポタミア文明の日干しレンガ、インダス文明の火焼きレンガなどなど、この技術が僕たちの人類史にいかに深くかかわってきたかが、良くわかります。

 

凄く勉強してくたびれたので、またとことこ廃線跡遊歩道をホテルまで戻り、シャワーを浴びてから、今晩のお店に向かいます。

 

舞鶴最後のお酒は。

割烹 松きち - かになど冬の食材を堪能 (gorp.jp)

バイ貝の突き出し。

西舞鶴港にあがる、季節のお魚。

丹後は水、酒米にも恵まれ。美味しい地酒が豊富。

とても品の良い、肉じゃが。

骨まで美味しい、カレイの揚げ物。

このように、舞鶴最後の夜は、暮れてゆくのでありました。

 

次回、もう一度この町を訪れることがあったら、ぜひ行きたいところがあります。

その前を通って、帰ります。

 

明日は、小浜線に乗って東進し、敦賀経由で琵琶湖のほとりの水の町、高島の新旭というところに向かいます。