血圧値 123/83/82 酸素飽和量 98% 体温 36.3℃ 体重 68.4キロ
ちょっと体重が微増。これはここ数日、外食が多かったからかな。
今日は摂取を減らしましょう。
測るだけダイエット。
昨日触れた「坊津の塩」ですが。
このあまり聞きなれない「ぼうのつ」という地名。
昔の地図では、こんな感じ。九州の西南の端っこあたりです。
1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い、南方郷の西部にある坊村、泊村、久志村、秋目村の区域を以て川辺郡西南方村(にしみなみかたむら)が成立した、そうです。
2005年11月7日 の新設合併で「南さつま市」というなんか殺風景な名前に変わってます。
この地図の中の北に位置する「秋目村」は、聖武天皇から招待されてはるばる日本にやって来て、日本で初めて東大寺に戒壇を造り、晩年はあの唐招提寺を建てたお坊さん、鑑真が上陸した港として有名です。
教科書で目にするこの肖像彫刻が有名ですね。
仏像ではないですが、妙にリアルな描写感。
この「日本で最初の彫像彫刻」について、駒澤大学の村松先生の本がとても興味深いです。
鑑真をめぐる、未だ残る謎の数々。
この像は鑑真の生前の姿の写実なのか。
即身成仏を幻視した、鑑真の理想的な悟りの姿なのか。
晩年の失明は白内障の手術の失敗なのか。そうでないのか。
東大寺を去ることになる本当の理由はなんなのか。
これを機会に、考えてみたいですね!
「今昔物語集」第11巻には鑑真が天平勝宝5年(753年)秋目浦に上陸した顛末が記載されています。秋目を出発した鑑真は大宰府を経て翌年の2月4日(旧暦)に奈良に到着したとされています。
ビジュアル系では、この絵巻が有名。
「東征伝絵巻」は鑑真が唐から来日して律宗を伝え、唐招提寺を創建するまでの経緯と事跡を伝記に基づいて描いた絵巻です。1298年、鎌倉極楽寺の忍性上人が造らせました。極楽寺は湘南鎌倉の美しい海の近くのお寺ですね。やはり海にご縁があるのでしょうか。
そういえば、今日は海の日。
海の日は夏休み前の特別な日のためにできた日。
7月には休みがないから海の日で取ろうとして決まったんですね。
昔、担任をした子のお墓参りで青山霊園に行き、今帰りました。
先に亡くなったかたの、いのちの時間は、今の僕たちに繋がっているのではないか。それを大事にしないと申し訳ない、という気持ちになります。
同級生の子供たちや、旦那さんの鍾馗くんなどとの、新しい出会いがありました。
生きるということは、人と出会う、ということでもありますね。
そういうご縁を、しみじみと感じます。
今日は出かけて行ってよかったなあと思います。
ホルンのお菓子とパン、綺麗なお花をいただきました。
ありがとうございます。
ホルン - 代々木八幡/ケーキ | 食べログ (tabelog.com)
さて。
秋目村の南、「坊」という村です。
この村の南西端に位置する坊ノ岬には坊ノ岬灯台があります。
この前、散骨をおこなった家内は、宮古島のビーチの沖に眠りますが、この坊ノ岬沖、237.2キロメートル地点は、1945年(昭和20年)4月7日に起きた、ある悲壮な歴史的事件にちなむ、鎮魂の場所なのです。
位置関係をグーグルマップに記入してみます。
その事件とは、坊ノ岬沖海戦(ぼうのみさきおきかいせん)。
概要はこんな感じ。
1945年(昭和20年)4月7日に沖縄へ海上特攻隊として向かった戦艦大和とその護衛艦艇をアメリカ海軍の空母艦載機部隊が攻撃した戦闘。
日本海軍が発動した天一号作戦の一環として第一遊撃部隊(第二艦隊のうち、第一航空戦隊の戦艦大和と第二水雷戦隊の軽巡洋艦1隻・駆逐艦8隻からなる)は沖縄方面に出撃、アメリカ海軍第58任務部隊がそれを迎撃した。午後12時40分から約二時間におよぶ戦闘の結果、大和以下6隻が沈没。日本海軍の大型水上艦による最後の攻撃となった。
この作戦は、海軍に残存する大和以下の艦隊を沖縄本島に突入させて艦を座礁させたうえで砲台として砲撃を行い、弾薬が底をついた後は乗員が陸戦隊として敵部隊へ突撃をかけるという生還を期さない特攻作戦でした。
敗戦の色濃い当時の状況にあって、いろいろ複雑な動機が錯綜して行われた作戦でしたが、多くの人命がこの遥か洋上で失われたことには違いありません。
戦艦大和 生存者276名/乗組員3332人
日本海軍艦隊全体の戦死者は4000人近く。アメリカ軍は撃ち落とされた航空機数がわずかに10機程。
それだけ無謀な作戦だったのですが、たくさんの将兵が何かを信じ、あるいは信じようとして亡くなりました。その墓標が、この坊ノ岬沖の空と雲です。
大和のみならず、この戦争中に沈没させられた軍艦は、多くの場合その戦場の海中に放棄されたまま、鉄の棺となっています。この前の知床遊覧船沈没事故を見てもわかるように、沈んだ船を引き揚げることは、並大抵のことではできません。
日本海軍の艦艇のほとんどは、この太平洋のどこかの海底に沈んでいます。その地図を僕は描いていますが、正確な位置を特定することは至難の業です。
このテーマについては、また別の機会に。