血圧値 116/73/78 酸素飽和量 98% 体温36.3℃ 体重 67.3キロ
昨日の夕方、南青山界隈を通ったら、大学生の子たちがけっこう普通に街を歩いてて、いい感じでした。
風景が、もとに戻りつつあるかな。
コロナとウクライナは、未だに未解決・未収束ですが。
第2次世界大戦後、国際連合などが設立され、各国の自発的な協力のもとで、国際法などの規範がある程度機能してきましたが、それは、強制力のあるルールによるものではありません。
他者に対する信頼や、先進国のリーダーシップがあってこそ、維持されてきたものです。
そうした協調関係が、コロナ禍で変わってしまった。
規範を前提とした協調よりも、各国の独りよがりな行動が前面に出てくるようになりました。
これは必ずしも、プーチン一人だけの問題ではないでしょう。
「よくわからない病気」への恐怖は、人間を惑わせるのかもしれませんね。
僕なんかも、ちょっともののとらえ方が変わってきたりしたし。
アクセス、また戻ってきました。
昨日、読んでくださったかたがた、ありがとうございます。
今日で月末だから、5月・6月と、61日連続でブログを書きました。
僕にしては、まあまあ続いているほうかな。
100回記念、くらいはとりあえず目指しましょう。
さて。そのブログのテーマですが。
どうやら、「音楽」それも「クラシック系」という話題が良くないのかなあ。
考えてみれば、今どき「クラシック音楽」(なんか変な呼び方だ)を聴いてるよ、なんていう人は、かなりな少数派マニア(変態的とも言います)ですからねえ。
普通の人は、興味関心はないのかな。
昭和的、中2病的話題なのかもしれない。
とは言いつつ、今日はこの話題にまた触れます。まあ、怒らないでください。
僕のこれまでの人生において、かなり重要な部分を占めていて、これにどういう決着をつけるかは精神的な終活の避けて通れないテーマなのです。大袈裟に言えば。
僕がクラシック系の音楽を聴き始めたのは中学生のころですが、まだCDなんか無くて、LP、つまりアナログレコードの時代でした。最近はアナログも復活しているけど。
当時のレートでLP1枚で2000円~だったから、かなり高額な買い物で、中学生にとってはおいそれと買えないものでした。それでも毎月のお小遣いとかをやりくりして、いろいろ聴いていました。ブラスバンド部とか入ったり。
当時は大人から子供まで、けっこう西洋古典~近代音楽(いわゆるクラシック音楽)を楽しんで聴いている人がかなりの人数、存在していたのだと思います。そんなに変わった趣味ではなかった。
それが今は。
「近年、クラシックファンを増やそうと各地で、さまざまな試みが行われています。」
「クラシック音楽業界は儲かっていません。ネット上で音楽が聴けるようになってからCDの売り上げは減少していますし、コンサートも完売することはほとんどないようです。特に、室内楽が不人気。歌やソリストといった「スター」のいない地味な音楽であるにも関わらず、出演者数が多くチケットの値段が割高になってしまうからです。」
こんなことを「業界」が嘆かざるを得ない状況こそ、このジャンルが戦後復興期日本の、ちょっと背伸びした西洋風かっこいい趣味から崩落し、非常にマニアックでニッチな「愛好家(オタクとも)」の、高尚かつ偏狭な教養アイテムとなりつつ存命しているという現状を如実に表しているのでしょう。
そこに、コロナ禍というダメ押しの痛烈なパンチです。
僕も個人的に、このテーマについて何らかの評価とか納得というものを見出して整理することで、クラシック音楽を中学生のころから長いこと聴いてきた、自分の中2病的趣味の時間の終活としたいと思います。終活とは、納得です。
例えばこのカラヤンという人物です。例にあげるアイコンとしては一番わかりやすい。
ヘルベルト・フォン・カラヤン
もう文章の尺が長いので、今回はとりあえずテーマの掲示だけにしておきます。
ところで。
注文しておいた履物(日和下駄風のやつ)がさっき届きました。
和洋折衷で使えそうです。
粋な男の下駄・茶人
しずおか産ひのきをシンプルでシャープに削り出した、《男のげた》。
茶人や風流人が好んで履いた雪駄をイメージしたデザインは粋。
鼻緒の中にはクッション材が入っているため、足あたりも柔らかで、個性的なデザインはデニムパンツやハーフパンツに合わせてもクールです。
だ、そうです!
カンカン帽・バックパック Chululu(チュルル)・みずとりの下駄で、この夏の3種の神器ブラックコーデとなりました。