にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 晴 ラフマニノフも、プルシェンコもワリエワも、ロシア人だから気に食わない、という理屈で言えば、ショスタコーヴィチも同じでしょう。

血圧値 115/70/82  酸素飽和量 98%  体温 36.8℃ 体重 66.8キロ

エアコンつけないで寝たら、体温が少し高いです。体重は減ってる!

歳をとったら、少し高めが良い、と聞いたんだけど。どうかしら。
(しばらくしてまた測ったら、36.1℃になってました。やはり夜暑かったんだ。)
体重の軽減は、脱水かな?(暑いと脱水しますね。)

室温は28℃、61%。節電に協力してみたんですが、ちょっと危険かなあ。

昨日のこのブログのアクセス数は、今月では12、13日に次いで第3位となりましたが、不思議と20時で終了しています。面白いですね、みなさん暑くてたいへんだったのかな。

「暑い」という言葉をやたら使いますね、ここのところ。ビッグデータ調べれば世界的にもそういう傾向がわかるかも。「コロナ」「ウクライナ」に迫る勢いか。

ちなみにカウントの仕方は、同一のかたが複数回アクセスしていただいてもその日の回数は1回です。いつもありがとうございます。
読んでいただいている、ということが、生きる励みになります。

どなたがアクセスされたか、という情報はプライバシーの保護上、僕にはわかりません。数だけです。
よくニュースで聞くような、誹謗中傷訴訟や警察介入などの事件性のある問題の場合は、開示請求が通りますが。
気軽にレスポンスをしにくくしている、というのは残念な気がしますが。

まあこれも、ご時世ということでしょうか。

それはさておき。

昨日の話題の「1912年」は、帝政ロシア時代の話ですが、もう一つの曲の「1917年」は、ご存じ、ロシア革命の年ですね。人類初の成功した(?)社会主義革命。

ロシア革命によって生まれたソヴィエト体制は、長期の停滞を経て、100年もたずに崩壊しました。現在は国名もロシアに戻っています。
帝政から社会主義を経て、現在のロシアはさらに複雑な社会になっているようです。そしてプーチンです。

理想の国家を作り、民衆が生き生きと生活できる社会を作ろうという動機から始まったはずが、いつの間にか権力を持つための構造に変わってしまい、他の党派や宗教家たちを処刑するようになってしまう。
そして最後はプーチンの独裁と暴発に至る、長く絶望的な道のり。これはなんという歴史の皮肉な結果でしょうか。

こういう感慨を、この「1917年」という言葉は含んでいます。

教科書的には、こういうことが起こりました。

ロシア革命は、資本主義の発展の遅れたロシアの、皇帝専制政治の打倒から社会主義国家が建設されるまでの連続的な革命のことを指します。
1905年(ユリウス暦)の革命を第1次革命、1917年の革命を第2次革命と呼び、ロシアはそれまでとは別の統治体制に移行していきました。

1917年2月に、当時進行していた第1次世界大戦への反戦と平和を訴える大規模なストライキと暴動が全国に広がり、軍隊にも大きな反乱が生じました。
皇帝ニコライ2世は捕らえられ、ロマノフ朝が倒れたのです。これを「二月革命」といいます。
政権を握ったのは自由主義的市民を中心とする臨時政府で、労働者と兵士はこれを支持しました。二月革命は民衆が団結した成果でした。

その後、海外から社会主義者たちが帰国してくると、臨時政府に反対する「ボリシェヴィキ」と呼ばれる勢力が台頭してきます。
彼らは臨時政府を倒して、自らが政権を奪取して、プロレタリア独裁を実現しようとしていました。

レーニンが指揮したボリシェヴィキは、臨時政府と対立し、二月革命の結果に不満をもつ労働者からの支持を獲得します。
また軍隊の一部が同調することによって闘争に勝利し、世界史上初の社会主義政権を樹立しました。これを「十月革命」と呼んでいます。

さて。

この交響曲 第12番ニ短調『1917年』作品112は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが作曲した12番目の交響曲
1917年のロシア革命レーニンの偉業を称える曲だとされ、第4楽章には、社会主義革命の実現によりもたらされる「人類の夜明け」という標題がついています。
1961年の共産党大会の祝賀行事の一貫として初演されたものです。

初演はこんな感じ。

世界初演:1961年10月1日、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラードフィルハーモニー交響楽団
日本初演:1962年4月12日、上田仁指揮 東京交響楽団 日比谷公会堂

まさにこの革命をテーマとした、見ようによってはプロパガンダ的な国策迎合作品で、「社会主義リアリズム」というものが生み出した、一種の歪められた曲ということで、これまでたいして価値のある曲とは思われていなかったのです。

4楽章形式ではあるが、全て切れ目なく演奏される。演奏時間は約40分。
各楽章につけられた標題を見ても、この曲が映像詩風の写実的音楽を目指した側面がうかがえますね。

第1楽章 「革命のペトログラード (英:Revolutionary Petrograd 」
第2楽章 「ラズリーフ (英:Razliv )」レーニンは1917年4月にペトログラード近郊のラズリーフ湖の畔で革命の計画を練った
第3楽章 「アヴローラ (英:Aurora )」巡洋艦アヴローラが主砲で冬宮を砲撃し、十月革命の火蓋が切られる
第4楽章 「人類の夜明け (英:The Dawn of Humanity )」

このコンドラシン盤のジャケットなんかは、この曲の表題性を表していますね。

今手元にある録音は、コンドラシンとロジェストヴェンスキーです。

参考資料は、こんな感じ。

ポケットスコアもありますよ。

ただ、この作品への評価はそう簡単ではないかもしれません。

ショスタコーヴィチという作曲家は、権力に寄り添いながらも、じつは反骨精神も持ち続け、悩みあるいは戦いながら、あるときは圧殺の恐れと戦い、最終的にはしたたかに音楽家としての名誉の達成も享受する、というとてつもなく複雑な活動をした、一筋縄では把握できない人物です。

この曲についても、「レーニンの肖像を描くつもりで作曲し始めたら、全然別のものになってしまった」とショスタコーヴィチ自身が語ったことがあるそうですから、これは音楽による抵抗だ、と受け取ることも可能です。

スターリングラード攻防戦パノラマ博物館の前にある57mものレーニン

ムラヴィンスキーの演奏は、ちょっと別格な意味を持っています。
ムラヴィンスキーショスタコーヴィチの盟友であり、この曲も初演しています。演奏は全体として暗く重苦しい雰囲気が支配し、英雄的な気分の高揚も勝利感もない。問題の第4楽章になっても、全然「人類の夜明け」にはならない。この演奏はショスタコーヴィチの意図通りなのかもしれません。

Shostakovich: Symphony No. 12 in D minor, Op. 112, "The Year 1917" (Mravinsky, LPO - 1984) - YouTube


昨日触れたように、チャイコフスキーの大序曲「1812年」は、ロシア軍がナポレオンの侵略をみごと打ち破ったという内容だからダメ、という凄く単純な反応から差別されたのですが、僕が、じゃあショスタコーヴィチの 第12番ニ短調『1917年』はどうなの?と懸念したのは、こういう複雑な背景があるからです。

まあ、トルストイツルゲーネフも、ムソルグスキーラフマニノフも、プルシェンコもワリエワも、みんな同じロシア人だから気に食わない、という理屈で言えば、ショスタコーヴィチも同じでしょう。

ただ、この問題はそう単純には割り切れない、と思います。
ショスタコーヴィチ、初めて聴いてみようと思う人もいらっしゃるかな。

楽しみです。