にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分並 晴のち曇ときどき雨 なんとか僕たちは、目の前にある「今日」を生きていく。

血圧値 122/83/80 酸素飽和量 99% 体温 36.3℃ 体重 67.8キロ

大雨かと思ったら、薄日が出たりしています。ゲリラ的な雷雨が心配。

昨夜は作業が長引いて午前様!
かなり進捗。ちょっと疲れたなあ😅

家を片付ける、頭を片付ける、文章を書く、運動をする、おさんどんをする、てのを同時にやって休み無し、ですからね😉

さて。

入院中、とくに急性期病院にいた頃、何度もルーティンのようにお医者さんや看護士さんたちから繰り返された質問があります。

「今日は何月何日ですか?」「今いるここは、何地方の何という場所の、何という建物ですか?」「お名前と生年月日を言ってください。ご家族は?」

まあ、だいたい答えられたけど。僕が苦手なのは、100という数から順に7を引いていけ、というやつ。悪いけどそれは、健常でも間違えるんですよ。

いわゆる「呆け」は、次の3段階で進みます。この質問やテストは認知症傾向(後天的な脳の器質的障害により、いったん正常に発達した知能・知性が不可逆的に低下する状態)のチェックですね。その他にもいろいろあります。入院すれば分かります。

最初は、
「いつか?」判らなくなる。何日で、何曜日か?
次に、
「ここが、どこか?」判らなくなる。だから、<自分の場所>を求めて、徘徊するようになる。
最後は、
「自分が、誰か?」判らなくなる。

でも、長生きをすれば、人間は、誰でも、こうなるのです。脳がだんだん劣化するので。年齢関係なくアルツハイマー認知症では脳が委縮したりして。

ヒトの人体は、そもそも、60歳を越えて生きるようには、進化上は、設計されていないのでしょう。生物としての性能の限界というものは当然ある。頭脳も肉体も、55歳を越えたら、いろいろ弱体化してくるのは当然です。(このころからゲノムに変異が蓄積し、がん化のリスクが上がるようですし。)動物にはそれぞれだいたい決まった寿命というものがあります。自然界の摂理です。ヒトも自然の一部分です。

小林 武彦 生物はなぜ死ぬのか (講談社現代新書) 新書 – 2021/4/14
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81902?imp=0
動物の寿命
https://www.pz-garden.stardust31.com/jyumyou.html

諸行無常。この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない。
これを厭うのは、煩悩と苦の始まりである。

そう言われればそうなんだけど、なかなか実感として受け入れるのは大変なのですね。

その折り合いをつけながら、なんとか僕たちは、目の前にある「今日」を生きていく。
自分の「死」なんかはあまり考えないようにして。

でも、その死を思い何らかの決着をつけようと意識することが、生の営みの本性なのではないか。

道元の次の言葉は、奥が深い。

生(しょう)を明(あき)らめ死(し)を明らむるは仏家一大事(ぶっけいちだいじ)の因縁(いんねん)なり、生死(しょうじ)の中(なか)に仏(ほとけ)あれば生死(しょうじ)なし、但生死即ち涅槃(ただ、しょうじすなわちねはん)と心得(こころえ)て、生死(しょうじ)として厭(いと)うべきもなく、涅槃(ねはん)として欣ふ(ねごう)べきもなし、是時初めて(このとき、はじめて)生死(しょうじ)をはなるる分(ぶん)あり、唯一大事因縁(ただ、いちだいじいんねん)と究尽(ぐうじん)すべし。『修証義』総序

生きるとは何か、死ぬとは何か、この疑問を明らかにすることは、仏さまの説かれた教えを信じる者にとって一番大切な問題です。生きるとは何か、死ぬとは何か、この問題を仏さまの目線で正しく見ることが出来たらなら、生きる死ぬという問題に迷い苦しむことはありません。ただ、生死は涅槃である{私は生まれてやがて死んでしまうという諸行無常の苦しみは、自分のこの命も宇宙全体の生命活動の中の一つであると気が付き、前向きに安らかにそして幸せに生ききる事だ}と気づく事が出来たなら、生まれ死ぬと忌み嫌う事もなく、そこから解放されたいと望む事もありません。この時初めて生死という苦しみから解放されたものとなり得ます。人生にとって一番大大切な問題として究め尽くさなければなりません。(宮澤山蓬莱院さんの現代語訳)

ここでは明らめる(明らかにする)という言葉と、諦める(そのままに受け入れる)という言葉の意味の重なりが、おのずと示されています。深いなあ。

親父は、2012年(平成24年)87歳で亡くなりました。
たとえ胃癌であっても、たぶんこれは天寿です。とても楽しそうな人生に見えました。お金取り立ておばさんの幻覚は見たらしいけど。

家内は、2020年(令和2年)60歳で亡くなりました。
たとえ乳がんの全身転移であっても、これは天寿なのか。
誰にもわかりません。本人は何も言いませんでした。

僕は、2022年(令和4年)63歳で、まだ生かされています。
もしかして脳血管疾患でこの先死ぬことになったら、やはり天寿なのでしょうか。
これはたぶん、僕が決めることでしょう。

さて、今日僕は、何をするのが良いのでしょうか。
ボーっと生きていては、叱られるかも。それも嫌だなあ。