にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分並 晴  水ぬるむ初夏の里山と、生き急ぐ僕? あのボストンバッグが欲しい!

血圧値 115/74/78 酸素飽和量 98% 体温 36.4℃
体重 67.2キロ

672? なんか聞きおぼえのある数字だな?
ああ、壬申の乱

あたらしい月になりました。水無月、六月。
なんで雨の降る月なのに「水無し月」?

水無月の「無」は、「の」にあたる連体助詞「な」であるため、「水の月」という意味になります。(沖縄では【ぬ】だね。)
今まで水の無かった田んぼに水を注ぎ入れる頃であることから、「水無月」や「水月(みなづき・すいげつ)」「水張月(みずはりづき)」と呼ばれるようになったそうです。
この時期の雨は稲が実を結ぶために重要なものであるため、豊作を願う人々の思いがこの呼び名に表れている、ともいわれています。

入院中に、顔と両手足が痺れて、トイレも一人では行けない、平衡感覚の失調と複視で眼も二重に見える(しかも右の像は傾いてる!)、嚥下も危ない、かなり辛いです、という状況で観たTVのドキュメンタリー番組の、里山や水郷や棚田に行ってみたいな。

ブナの森、田んぼのメダカ、ミツバチの巣作り、清澄な水路にともに生きる人々と小さな魚たち。
森羅万象、生きているものたちが、みんないとおしく思えてなりません。

これが今回の収穫です。




映像詩 里山 その他

昨日のニュースでこういう事件がありました。

福岡・久留米市で、木製の栓が抜かれ、農業に使用するため池の水が9割以上がなくなる被害がありました。田植えの時期を前に、農家からは憤りの声があがっています。水が抜かれていたのは、福岡・久留米市の神野池第二堤です。このため池では、田植えが始まる6月10日に取水が予定されていました。また、神野池から約1.5キロ離れた「キロメキ池」でも、排水溝の蓋が開けられ、3割程度の水がなくなっていました。
一帯は川が少なく、農業に必要な水をため池に頼っていて、水利組合では「雨が少ない日が続けば、1か月分の農業用水が足りなくなる」と懸念しています。

悪いやつだなあ。鬱屈している気持ちがさせるのだろうか。
愉快犯、という言い方も良くないな。精神が子供のままだ、と言ったら子供に失礼だし。

紛らわしいけど、確信犯と故意犯と愉快犯の意味の違いって何だろう。ついでに調べるとこんな感じ。

「確信犯は正しいと信じた行為による犯罪を表現する時に使い、故意犯は罪の意識を持った行為による犯罪を表現する時に使い、愉快犯は自身の快感のための犯罪を表現する時に使うという違いです。」

なるほど。じゃあ、この場合は愉快犯か。やられるほうは不愉快だ。

さて。

ブログ読んでいてくれる人から、更新が毎日あって、テーマもいろいろだからついて行くのが大変という感想が。

ちょっと自分で言うのもなんですが、全力疾走の感じがありますね。あとがない、という気持ちかな。インプットしないで、アウトプットだけを急ぐのは、本当は良くないだろうなあ。からだの具合が良くなれば、少しずつ余裕が持てるのですが。
人生のロスタイムだから、いつノーサイドの笛が鳴るか分からない😅

とりあえず、今のうちに考えたり行動したいということの、インデックスの部分だけ思いつくままに列挙している感じです。忘れちゃうからね。それぞれこれからできるだけ深めていきたいと思います。

興味関心の対象が、あちこち拡散していて、そのくせそれぞれの標的に向かってアースダイブしないではいられない、というのが、僕の弱点というか、性癖です。

だから、これらの伏線を全部回収して自分なりの帰着をみつけて納得したい、というのが今やっている終活の本体です。単にものを捨てる、というだけではない。なかなか大変だ。

なので、焦っているのではない。ちょっと急いでいるのです。
焦る必要はないが、急ぐ必要はある。いまの気持ちです。

6月は少しゆっくりできるかな⁉️

つぎにやりたいことは、荷風の散歩随筆の名作といわれる『日和下駄』にちなんだものですが、なにせ無職無収入無年金ですからねえ。
荷風先生みたいに、額面総額2334万円(当時!)を超えてる通帳の入ったボストンバッグが、傍らに置かれてたりしないからなあ。残念。

お昼前、渋谷にチェロの稽古に行って、西小山から散歩して帰ってきました。
行ってみたいカレーのお店があるんだけど、超混んでたから、またの機会に。

ひさびさに、ピッザを食べました。ほんと4カ月ぶりくらい。