にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0540 起床 気分並 曇 成城石井とブログタイトルの由来について

血圧値 113/81/78 酸素飽和量 99%    
体温 36.3℃ 体重 67.7キロ

まずまず良好❗ ありがとうございます😃

ついにこのブログも連続31回、5月1日の開設以来ちょうど一ヶ月が過ぎました。
現在、通算1300超のアクセス・ご来訪を戴いています。これもほんとうにありがとう😉👍

入院して以来109日、退院以来21日。
時間のたつのは、あっという間ですね。
季節も移ろい、そろそろ梅雨入りです。

昨日成城石井で、パンを買いました。最近は10枚切を食べているので、たまには無礼講。人気の6種類のパンがお徳用パックになってます。「大人気バラエティパック」。お一人様に最適。

さて。

たまにご質問を受けるので、「日乗」と「日常」について。ブログタイトルの由来が今日のテーマです。

「日乗」が日記の意味であること(出典は中国北宋時代のなにかだと思うのですが調べきれません)は、あまり一般的ではないらしいので、ルーツの一端に触れておきたいのですが、つまりこれ、『断腸亭日乗』。

僕が持ってるのは『断腸亭日乗』〈全7巻〉、岩波書店(1980 - 81年)版です。

永井荷風の、日記体のエッセーというか評論というか、一見するとひねたじいさんの繰り言のようなものです。でもとてもお洒落で、面白い。

1917年(大正6年)9月16日から、死の前日の1959年(昭和34年)4月29日まで、激動期の世相とそれらに対する批判を、詩人の季節感と共に綴り、読み物としても、近代史の資料としても、荷風最大の傑作とする見方もあるものです。

名文と評される漢文調で綴られていて、その日の天候、家事、来客、出版の商談、外出、食事、交友、散策先の状況、巷の風景、風俗、世相、噂、物価、体制批判、読書、読後感などを記し、時に筆書きのスケッチ・地図も添える。交友の相手には女性も、外出先には遊郭・赤線地帯もあり、馴染んだ女性の名を列記してもいる。

荷風は日本近代の文豪、近来まれに見る巨人にして奇人、変人、そして大人(たいじん)。なんともビッグでかっこいいじいさんだ。この人の全貌を簡単に記すなんてことは多分不可能。Wikiの記述はこんな感じ。

永井 荷風(1879年12月3日 – 1959年4月30日)

小説家。東京都文京区出身。高商付属外国語学校清語科中退。広津柳浪・福地源一郎に弟子入りし、ゾラに心酔して『地獄の花』などを著す。1903年より1908年まで外遊。帰国して『あめりか物語』『ふらんす物語』(発禁)を発表し、文名を高める。1910年、慶応大学教授となり「三田文学」を創刊。その一方、花柳界に入りびたって『腕くらべ』『つゆのあとさき』『濹東綺譚』などを著す。1952年、文化勲章受章。1917年から没年までの日記『断腸亭日乗』がある。

この最後のところの「日記」が、すなわち「日乗」。日常を記録したもの、という意味ですね。

荷風の写真は、これが味が出ていて良い。

アニメ(幻魔大戦)にも登場します。地球壊滅作戦の最高司令官でカフー超能力研究所の所長。

荷風は僕が生まれた昭和34年3月、病気悪化のため倒れ、自宅で孤独に亡くなりました。『日乗』の記載によればこんな感じ。

1959年3月1日、長年通い続けた浅草アリゾナで昼食中、「病魔歩行殆困難」となる。その後は自宅に近い食堂大黒屋で食事をとる以外は家に引きこもり、病気に苦しむ荷風を見かねた知人が医者を紹介しても全く取り合わなかったという。

4月30日朝、自宅で遺体で見付かった。通いの手伝い婦が血を吐いて倒れているのを見つけ、最後の食事は大黒屋のかつ丼で血の中に飯粒が混ざっていた。胃潰瘍に伴う吐血による心臓麻痺と診断された。傍らに置かれたボストンバッグには常に持ち歩いた土地の権利証、預金通帳、文化勲章など全財産があった。中身の通帳の額面は総額2334万円を超えており、他に現金31万円余が入れられていた。

ここからは、僕の話。

これまで、普通に仕事をして、時間割がある生活をしているときは、何も考えなくて良かった。ただルーティンのように毎日、毎週、毎年が過ぎてゆきます。
気がつけば63歳。やがて来る、時間割喪失の日。普通は仕事を辞めて、人生の時間割をキャンセル、さてこれからの人生をどうするか、状態になるのですが、僕の場合は、突然死にかけて入院、という青天の霹靂。一気にカラータイマーが点滅。

しかし、面白いことに、この入院中の3ヵ月は、かなり細かく時間割ができてました。起床、消灯。3度の御飯、1日3から4回のリハビリプログラム。お風呂の時間。TVのドキュメンタリーやニュース、映画のチェック。病状が少し良くなってから(TV画面を観たり活字を読んだり歩いたりできるようになってから)、簡単な日々の記録とかもメモするようになりました。
ワープロでものを書く時間。生きていることの、文字記録を残す。これまでやったことのない習慣でしたが、自然にできるようになりました。
手先や視力が不自由なので、紙に書くよりスマホやノートPCのキーボードのほうが楽でした。リハビリミッションにパソコン練習もあるし。

このブログを始めたのは5月1日からですが、忘れないように救急搬送された2月12日まで遡って、書き留めました。でも、このブログを書き始めた本来の目的は退院後にあります。
その日その日の時間割を、些細なことではありますが、自分が生きた結果として確認し、書き残すことです。

なので、このブログを「にこたろう読書室の日乗」と呼んでいます。
荷風氏に敬意を称して。