退院・帰宅後11日目となりました。このブログも連続21日更新ということに。
血圧値 119/70/77 酸素飽和量 97 体温 36.1℃ 体重 67.5キロ
顔が凄い痺れる、いつもだけど😅
正座して痺れた足の裏が、顔とかに貼り付いた感じ。不快‼️
「痛みは、我慢できます」と、投降したウクライナ軍負傷兵が言っている。痺れても死ぬわけではないから、贅沢は言えないかな。「痒み」は我慢できないから、そっち系の疾患を持っている人は辛いだろうなあ。症状や障害を持つ人の気持ちの一端が、少し共感できるようになったのだろうか、今回の経験で。
外は雨で、梅雨入りも間近だから、痺れの強化は気圧配置の影響もあるでしょう。昨日大活躍してちょっと草臥れたし。今日はコナミがないので、室内作業を少しゆっくりと進めようかな。
発注したキッチン天井用の蛍光灯ロング管2本も届くし。ここは当面LED化できないんです。機器ごと換えないと。これは今、時間の余裕がない。
マンションの共用廊下部分の床材張替が一斉に行われていて、うちの前も昨日今日で終わる予定。けっこう音がするな。
ここのところ続発する高齢者の自殺。僕と同じ60歳前後の人たち。
60歳代は喪失体験に直面する時期。一番多いのは、①職業を失う(定年とか病気・不景気)②近親者を失う(親や配偶者の死亡・離婚)、という2つの原因で。これによって独り暮らしになって、生きる意欲と元気を失う。「もう生きていても面白くない!」
うひょー、僕はぴったり当てはまるなあ。当面無職になったし、親や子供はいないし家内も亡くなった。今のところ、やらなくちゃいけないことがいろいろあって、日々の生活は忙しいし面白いけど。先は、わかりません。
このブログは現在コンスタントに30~40名くらいの方々が見てくれているようで、嬉しく思います。この繋がりが、僕の①②の喪失を支えてくれていると思います。共に生きている人々に接することが、自分も生きていることの証しですね。
それにしても、何か具体的な作戦計画を立てないといけないので、考えました。
「喪失の60代を生き残るためのロードマップ」
あ:基本方針
①毎日、かならず「知っている人」にリアルで会う
②毎日、かならず「よく知らない人」にリアルで会う
この「リアルで」というところが肝心です。
仕事があって、家族がいれば、こんなことは毎日簡単にクリアしているのですが、ひとたび喪ってみると、意外と難しい課題なのですね。人間関係の本質みたいな部分なので、社会的動物であるヒトにとって、これは生死に関わる重要課題だったわけです。
さてどうしよう。地域社会が生き生きとしていれば、これまた簡単のなのですが、マンション生活はご近所付き合いもないし。同年代の友人が、町会の仕事とか率先してやってるのはこれだったのね。
い:具体的計画(とりあえず決まっているもの)
月曜日(スポーツクラブ)
火曜日(スポーツクラブ)
水曜日(月2回習い事)
木曜日(スポーツクラブ)
金曜日(スポーツクラブ・「かわさき」昼食)
土曜日
日曜日(月2回習い事)
水・土・日がやや手薄だなあ。行きつけの店を設定しようかな。ただ、あまりお酒を呑まない予定だからなあ。
あと、身体の具合が良くなったら、ボランティアではない仕事を探すかな。
(どんな額でも報酬を頂く仕事にしないと、自己中な無責任仕事をするだろうと思います、僕の性格では。)
コナミに行かない日なので、お昼は少食。昨日成城石井で買ったホットビスケットひとつをあまおういちごのいちごバターフレッシュで。プレーンヨーグルト蜂蜜添え、卵スープ、コーヒーでした。
ベッドカヴァー兼用ソファーベッドカヴァーを洗濯。これは別柄と2枚持ってます。リバーシブルだし便利。
ここ数日、疲労困憊したので、ヤマト便で蛍光灯が来るまで、ちょっとひっくり返って本でも読もうかな。
と思っていたら、ヤマト来た。踏み台に乗って交換したけど、超やりにくい。僕は、フィールドアスレチックみたいなやつ、今できないと思う。ひっくり返る。
「よく知らない人」は、さっきヤマト便の人が来たので、残るは「知っている人」。行きつけのとんかつ「かつよし」さんに、1月以来久しぶりに会いに行きました。
ロースかつ定食に冷ややっこ、ご馳走様でした。