にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0530 起床 気分並 曇 耳の問題と音楽のこと

早朝の廊下と、デイルームのトレーニングマシン。あと3日でお別れです。たまに帰ってくる患者さんもいるそうですが。できればそうならないほうが、良いのでしょう。

誰もいない早朝の廊下

ニューステップとかいうマシン

昨日は母の日でしたが、母は(父も)もういません。涅槃で待つ。午後から、右耳の具合が悪くなって、耳鳴りみたいなものが聞こえ続けました。右半身の身体も痺れるし。リハビリのしすぎかなあ。退院間近かになって運動も佳境に入ってますから、疲れるのかな。痺れが強まるのと病状の悪化は、必ずしもイコールではないらしく、やむをえないものみたいです。3ヶ月経っても痺れ具合にあまり変化がないということは、一生続くこともあるのかも。厭だなあ。痺れても死なない、と言われてもなあ。残念至極。

持ってきたCDなど

出血直後、耳の聞こえがおかしくなったので、聴覚チェック用に家から持ってきてもらったCDです。ノートパソコンとヘッドフォンも設置。

フルトヴェングラーベートーヴェンウィーンフィルとのスタジオ録音がメインの全集)と、コンドラシンショスタコーヴィチ(ロジェストヴェンスキー盤も持ってるけど今回はこっち)。
その後のプーチン戦争の勃発を鑑みるに、なかなかに意味深長なチョイスとタイミングでしたね。前者はモノラルで、後者はステレオの録音だから、左右の聴覚の状態をチェックできるのではないかと思いました。

 

プーチンのせいで、激しいロシア叩きがいろいろなジャンルで起きてます。芸術の、とくに音楽の世界も。

 

ウィーンフィルアメリカ公演の指揮をしに行ったゲルギエフが、ニューヨークのカーネギーホールで指揮台から引きずり下ろされて、今後の音楽活動が致命的になったし(パリ公演中止、スイスでは音楽監督辞任)。ゲルギエフは完全にプーチン体制に一体化している、というか、お互いに利用し合っている関係ですから。プログラムにはラフマニノフのP協2番。まあこれはプルシェンコ炎上問題とベースは同じだから分からないでもないけど、チャイコフスキーショスタコーヴィチラフマニノフを悪く言うのはなんだかなあ。

連動して、複数の日本のオーケストラがチャイコフスキーの大序曲「1812年」を急遽演目から外したりね。この曲のテーマでもある1812年の戦争はロシアでは「祖国戦争」とも呼ばれ、ロシア人の「自分たちは西側世界の被害者だという意識の原点の一つになっている」とも言えるからです。コーダで大砲ぶっ放すし。やっぱりまずいかなあ。大昔のロマノフ朝の話なんだけどね。日本海海戦大勝利で、ゼネラルトーゴ―がトルコとかでいまだに大人気ていうのと裏表の感じかな。

BSで映画「戦争と平和(ヘップバーンのやつ。本当はリュドミラ・サベリーエワのほうが好き。)」を観たけど、あれなんかもう地上波では放映できないのか。代わりは「ひまわり」ね。

ヘップバーンかわいい

一方、フルトヴェングラー(カラヤンその他も)は、ナチ協力者として大戦後叩かれたけど、ドイツにおいてすら、あっという間に復活したのです。芸術に罪はない的な感情。これを良い悪い言うつもりはないのですが、考えさせられる出来事ですね。

日本の、15年戦争の責任問題を追求する過程で、万葉集源氏物語夏目漱石を全部焼き捨てろとなったとすれば、そういうのはやはり問題が違うという気がします。そうはならなかったけど。(GHQ焚書に関しては、理解できないわけではない?)

 

さて、ショスタコーヴィチについては、前にちょっと触れたのですが、交響曲第13番「バビ・ヤール」に関する話題、ICUのベッド脇の換気装置の音が不気味な男声合唱に聞えた話です。

この曲は、エフゲニー・エフトゥシェンコの詩によるバス独唱とバス合唱付きの、反体制的内容のせいでソビエト当局と作曲者側がいろいろ物議をかもした作品で、入院する前によく聴いていた曲なのです。それにひっぱられて、こういう幻聴が起きたのかなと思っていました。このCDを振っているキリル・コンドラシンが、この曲の初演者でもあります。

このBOXは12枚組でリーズナブル

その直後に、あのプーチンです。キーフ(どうしてもキエフと発音したくなる。ソ連時代に行ったことがあります。)のテレビ塔吹っ飛ばした人。

キーフのテレビ塔

じつはこの塔のすぐそばに、バビ・ヤールがあるのです。なんという暗合!

バビ・ヤールとは峡谷の地名で、1941年にこの地に侵攻してきたナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺が行われた場所です。この13番の交響曲の第1楽章は、この虐殺事件とともに、帝政ロシア末期における極右民族主義団体によるユダヤ人弾圧にも触れ、その後のソ連においてもユダヤ人に対する迫害や反ユダヤ主義が存在することをほのめかし、告発するような内容の歌詞になっています。33,771人ものユダヤ住民がバビ・ヤール峡谷に連行された上に機関銃によって撃ち殺され、その遺体はそのまま峡谷に投げ捨てられて積み上がっていったそうです。

バビ・ヤールの峡谷

歌詞はこんな感じ。

【合唱】

バビ・ヤールの上に記念碑はない。
険しい断崖が、粗末な墓碑銘のようなものだ。
僕は恐ろしい。
僕は今日、自分がユダヤ民族そのものであるかのように
年を取ったように感じるのだ

【独唱】

僕は今、自分がユダヤ教徒であると感じている。
ほら、僕は、ゆっくり、のろのろと古代エジプトを歩き回っている。
ほら、僕は、十字架に張り付けられ、非業の最期を遂げるのだ、
そして今でも僕には、釘の跡が残っている

僕は、自分がまるでドレフュスであるかのように感じている。
あれは僕だ。

(以下 略)

初演後に問題となり、フルシチョフの命令でエフトゥシェンコ自身により第1楽章に使われた詩「バビ・ヤール」が改変され、ショスタコーヴィチに対しても、改変された詩に基づいて音楽を書き換えることが要求されましたが、ショスタコーヴィチはこれを拒み、結果的には音楽は改編されませんでした。具体的には、ユダヤ人として生きる苦しみをキリストの受難に例える部分が、ロシア人やウクライナ人もユダヤ人と共に(ナチによって虐殺され)この地に眠る、という内容に変わり、また後半部分においてはっきりと「虐殺」という言葉を用いて犠牲となった老人や子供に思いを馳せる部分は、「ファシズムナチス・ドイツ)の侵攻を阻んだロシアの偉業」を讃える内容に変更されています。

作曲者の盟友のムラヴィンスキーは、謎の理由でこの曲の初演を断ったので、コンドラシンが指揮をすることになりました。その本人による記念碑的なCDが、今ここに在るわけです。

TVニュースは、今日もウクライナの惨状を映し続けています。僕の耳は、まだ変です。