にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0525 起床 気分並 晴 転院とリハビリの理論についての話

デイルームの風景

朝のデイルーム。病室とは反対側の窓辺の光景です。大井町方面かな。8階だから、良い眺めです。これもあと数日で見納めでしょう。

森羅万象、生きているものたちが、みんないとおしく思えてなりません。これが今回の収穫です。

ベッドでTVがなんとか観られるようになると、BSのドキュメンタリーなどを立て続けに観ました。眼や耳のリハビリもかねて。遠い国の野生の生き物とか、世界の絶景風景とか、子孫を残してすぐ死んでしまう昆虫とか、沖縄の変わった魚と海とか、綺麗な羽毛を持っていた恐竜たちとか、日本の歴史の群像とか、グレース・ケリーの生涯とか、コヘレトの言葉を読もう、とか。

何を観ても、生きのいのちの有りようが、感性の奥深いところに響いてくる感じがします。いのちと死の問題を考えるとき、これまでに無数に生まれ死んでいったものたちの、いままで聞えなかった声がひびきます。これは、いままであまりなかった気持ちだなあ。

映像詩 里山 森と人 響きあう命

映像詩 里山II 命めぐる水辺

ということで、その後の転院とリハビリについての話です。

幾多の窮地とトホホな出来事をなんとか潜り抜けて、3月14日、五反田にあるリハビリ専門の病院に転院しました。ホワイトデイですね。白紙に戻す?

ひっくり返って以来、31日目。やっと親族(妹氏)にリアル対面。御世話になった病院のかたがた、本当にありがとうございました。毎日、入れ替わり立ち代わり、ひっきりなしに来る救急車のサイレンを夜中に聞いていましたので、皆さん、大変なお仕事をなさっていて、それでも明るく接していただいて、頭が下がります。

コロナ事情で、ひっそりと転出し、タクシー20分ほどで今の病院に到着。なんかさみしいなあ。

いろいろ、方針とか決めるためのヒアリングや各種説明。これは妹氏も同席で、ほどなく僕は8階の病室へ。お通じの一助にと芋けんぴ3袋、繊維クッキーなどなどバッグに潜ませていたのですが、無事に持ち物検査に合格し、持ち込み成功。逮捕拘留とか軍隊に入るときはこんな風なのかな。後で聞いたら、僕は患者コードでいえば「間食OK」の人でした!

部屋はこんな感じ。

入院した個室

壁面のTV

入院条件が個室2週間から始めることだったのですが、おそらくは一生に一回のチャンスだから少しでも環境が優しいほうが良いかな、と思いこの病院に決めました。救急病院からリハビリ病院への連携は、いろいろルートが開拓されているのですね。体験して初めて知りました。緩和ケアと葬儀屋さんが繋がってるみたいなものかな。

これまでの入院生活でかなり痩せました。これは良いことなのかな。約7キロの体重減。自撮りは苦手です。

セルフィーは苦手

いろいろ検査とかして、本来なら「終日構内自立独歩(今は、これ)」という資格をとれるはずだったのですが、入院時のPCR検査でまさかの、陽性コンティニュー。またしても、個室内隔離になりました。コロナ感染後、ほぼ3週間経ているので、もううつさないはずですが、ウイルスの死骸が残存するとかの事情でこういうこともあるらしい。しかもここから、なんと2週間後まで陽性のまま。これは最強の自己免疫を獲得したのではないか?

それやこれやで、ようやく釈放されたので通常のリハビリが可能になり、マシントレーニングとか、階段上り下りとか、屋上の庭園で散歩とか、いろいろやってます。汗が出る、というひさびさの経験。

痺れたり壊れたりして休止したまま命令を出さない脳神経に、各部所に正しい動きを人間が与えて、その使命を脳に思い出させる、という逆療法がリハビリテーションらしいです。無意識で出来ていた手順を、脳が出血のダメージで忘れてしまったので、正しい手順を身体でやって見せて、思い出させるわけですね。これがリハビリテーションの理屈なんですね。学ぶなあ。

これは、新しく生きるための訓練です。直立二足歩行、とても難しい。最初のヒトはどうやって覚えたのだろう。ホモサピエンスの一生を学び直す感じで、むしろ面白いかも。

 

「二本足で立って歩く」「道具を使う」「言葉を使う」「火を使う」

歴史の授業で、ヒトとその他の動物の違いを定義するとき、こう教えます。僕は今、これをゼロから学びなおさなくちゃなりません。大変だ。

赤ちゃんが、ハイハイから片足だちして、二本足で立つまでの、バランスと力加減を思い出して、神経に伝える練習をしなくては。椅子から立ちあがる練習。これは踵とお尻を直上のラインに合わせないとできません。壁際で片足ずつ静止するバランス訓練。歩くという行為は、身体が前に倒れて、それを踏み出した足で支え、さらに倒れて反対の足で支える。これを流れるように、倒れ続けながら前に進む。複雑で高度な運動だ。無意識でできていたことが、意識した途端に、ぎこちない。

小さな木の棒を穴にさす、手先の訓練。手のひらが痺れているので、タオルとか新聞紙とか、ストローのこまぎれとか、いろいろ触って、感触の刺激を入力したり。猫のお腹のもふもふとか、触りたいな。

演劇部みたいな発声と朗読練習。まあまあできるけど、100から7を順次引いていくという例のやつは、健康時でも苦手だよ。各種の知能テストを言語療法士さんがしてくれる。

そこはたぶん、だいじょうぶですよ。身体はホモサピエンスの赤ちゃんだけど、アタマは63歳の「中山明」ですよ。有難いことに大脳新皮質は壊れなかったらしい。威張るわけではけっしてないのですが、知能テストは、患者史上驚くべき数字を叩き出したそうです。なのでこっち系のミッションは早々に終了。これは僕が賢いわけではなくて、
昔から「知能テスト」自体にある種の「才能」があったのです。小学校でそう言われたんです。その証拠に、算数計算みたいなのは今でもまったく苦手。

コロナ禍以来、外出は退院二週間前からの外歩き駅までミッション以外はできないので、半日帰宅として荷物を搬入とか無理そうです。残念。

体重が68キロに戻りましたが、入院前に比べて、まだ5キロ痩せたままだ。

毎週、体重を量ります

リハビリの終結については、とりあえず、病院から五反田駅までの距離を無理なく往復する、という課題をクリアしないといけないのです。雨で傘をさす場合もあるし。
今後の目標とか相談したけど、最速で5月連休明け、余裕をもって、5月末あたりの退院を目指せれば、という感じ。(これは後に2度目の面談で、5月11日の退院が決まりました)