にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0545 起床 晴 気分快 入院の顛末について

ペーパークラフトの練習

作業療法のミッションで作ったペーパークラフトの救急車。いまひとつの出来上がり。紙がペラペラなので難易度が高いなあ。せめてデザインナイフがあれば。ジオラマ作成やフライフィッシングの作業などへの後遺症の影響が不安ですが、まあ、手先が動かないわけではないので、やってみるしかないかな。

ちなみに救急車はなんでambulanceというのか?
もともとラテン語で「動くもの」という意味のようですね。初めてググりました。「アン(暗)ビュ(部)ラン(=走る)ス」でイメージできるでしょう、ていうのだが、できないだろう!

海外で具合が悪くなった時の参考までに、英語圏である、北米(アメリカ・カナダ)の救急車の番号は、「911」です。日本が「119」ですので、「日本の番号を逆にしただけ」と思えば、覚え方は簡単ですよね。同じく英語圏のイギリスは「999」です。

ヨーロッパでは、イタリアが「118」、ドイツ、スペイン、フランスが「112」を採用しています。アジアでは、中国が「120」、シンガポールが「995」、フィリピンが「117」です。オセアニアでは、オーストラリアが「000」、ニュージーランドが「111」を採用しています。


さて、今回の入院の顛末について書いておきます。なぜ救急車ではこばれるなんてことにことになったのか。

 

2月12日(土)。あるネットラジオ放送のゲスト出演打ち合わせ中に、控室にいたら、目がちかちかして突然のめまい。地震が起きたのかと思った。下におろそうとした左の腕が途中で止まって、ふわふわします。

 

即座に全身が痺れて、歩けなくなる。自分の声も聞こえない。脳卒中を自覚しました。頭の中がぐるぐるして、赤信号が点灯する中で意識は意外と冷静に、「これはこのまま死ぬかな」と考えていました。

その時の僕は、終活がまだ中途半端なのをとても心配していました。家内が亡くなった二年前から少しずつ始めていました。このままでは誰も独り暮らしの自宅マンションに入ることすらできない。神様に「あと一度だけ家に帰してください」とお願いしました。これはもう本気で。僕は限りなく無信仰に近い仏教理解者なのですが、こういう時は「なんとなく神様」頼り。

 

コロナ禍の影響でいろいろ断られて、四か所目に日医大附属千駄木病院に運び込まれました。救急のかたがたと、この病院に感謝。

 

この発作が自宅であったら。すぐ隣にある死。たまたま出先で、周囲に人が居てくれた偶然と、持っていたスマートフォン。メールを拾ってくれる人たちがいたこと。これが僕を助けた。ありがとうございます。

 

CT撮影で脳幹と右の橋(きょう)からの出血と判明。幸い意識があったので、先生たちの声が、なんとなく聞こえるようになってきました。

倒れた瞬間から音が聴こえずらくなくなっていたのですが、左耳の奥底から、不思議な男性合唱みたいなのが、微かに聴こえ続けましたよ。全身の痺れとめまい、平衡感覚の異常。意識と心肺機能は良好。即死でないということで、軽症判定だったのでしょうか。自分では、とても軽症とは思えないけど。

 

4㏄程の出血量でしたので、開頭手術は免れました。脳幹が司る三叉神経、平衡感覚、聴覚神経、目玉を動かす3本の神経等が出血の影響を受けて痺れています。目が回ってものが二重に見えて、まともに歩けません。これを「複視」というそうです。天井の四角い模様が左右にずれて、しかも右の像は斜めに傾いてます。これでは遠近感がめちゃくちゃです。とても歩けないし、身体も起こせない。

 

あと1センチ下にずれていたら、おそらく心肺機能停止で死んでいるか、意識不明の昏倒状態になったでしょう。奇跡的にいのちが永らえました。