にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分並 晴 アクセス急落! 爆去り。残念。

血圧値 106/74/76  酸素飽和量 97%  体温 36.3℃ 体重 67.6

 

一昨日のアクセス数がとても多かった、と書きましたが、なんと昨日は最少アクセス数を更新してしまいました! 爆去り。残念。

この落差、何なんだろう。大恐慌の時の株価の急落グラフみたいです。

商用ブログではないので読んでくれる人はお知り合いがメインですが。

たしかにLINEもなんとなく動きが止まってるけど。

でもきっと、僕自身の問題だ。
あるいはこの暑さかも。"C'était à cause du soleil" (太陽のせいだ)

話題に興味がない
文章が長すぎる
話題に食傷気味である
暑すぎる
読ませる工夫がない
他人のブログには興味がない
忙しい
公開する内容ではない
忘れた

 

まあ、そうですよねえ。

それでも、毎日書くものなのか、という点。

 

これは自分に対して決めた約束だから、これを簡単に破ると、自分への信頼がなくなります。
これは、まずいスパイラルに陥るかも。

 

自分自身への信用が低い人が他から信用のレベルが高くなるわけがない。
だから自身への約束は破ってはいけない。

自分自身への約束が確実に実行されるためには。

声に出して宣言してみる、ブログに書いてしまう。
簡単なこと、敷居の低いことから、始める。

そうすることで自分への約束を、いつも守ることが出来るような、自分になることが出来る。

 

まだ、間に合うかな。



 

 

 

0600 起床 気分快 晴 ラフマニノフも、プルシェンコもワリエワも、ロシア人だから気に食わない、という理屈で言えば、ショスタコーヴィチも同じでしょう。

血圧値 115/70/82  酸素飽和量 98%  体温 36.8℃ 体重 66.8キロ

エアコンつけないで寝たら、体温が少し高いです。体重は減ってる!

歳をとったら、少し高めが良い、と聞いたんだけど。どうかしら。
(しばらくしてまた測ったら、36.1℃になってました。やはり夜暑かったんだ。)
体重の軽減は、脱水かな?(暑いと脱水しますね。)

室温は28℃、61%。節電に協力してみたんですが、ちょっと危険かなあ。

昨日のこのブログのアクセス数は、今月では12、13日に次いで第3位となりましたが、不思議と20時で終了しています。面白いですね、みなさん暑くてたいへんだったのかな。

「暑い」という言葉をやたら使いますね、ここのところ。ビッグデータ調べれば世界的にもそういう傾向がわかるかも。「コロナ」「ウクライナ」に迫る勢いか。

ちなみにカウントの仕方は、同一のかたが複数回アクセスしていただいてもその日の回数は1回です。いつもありがとうございます。
読んでいただいている、ということが、生きる励みになります。

どなたがアクセスされたか、という情報はプライバシーの保護上、僕にはわかりません。数だけです。
よくニュースで聞くような、誹謗中傷訴訟や警察介入などの事件性のある問題の場合は、開示請求が通りますが。
気軽にレスポンスをしにくくしている、というのは残念な気がしますが。

まあこれも、ご時世ということでしょうか。

それはさておき。

昨日の話題の「1912年」は、帝政ロシア時代の話ですが、もう一つの曲の「1917年」は、ご存じ、ロシア革命の年ですね。人類初の成功した(?)社会主義革命。

ロシア革命によって生まれたソヴィエト体制は、長期の停滞を経て、100年もたずに崩壊しました。現在は国名もロシアに戻っています。
帝政から社会主義を経て、現在のロシアはさらに複雑な社会になっているようです。そしてプーチンです。

理想の国家を作り、民衆が生き生きと生活できる社会を作ろうという動機から始まったはずが、いつの間にか権力を持つための構造に変わってしまい、他の党派や宗教家たちを処刑するようになってしまう。
そして最後はプーチンの独裁と暴発に至る、長く絶望的な道のり。これはなんという歴史の皮肉な結果でしょうか。

こういう感慨を、この「1917年」という言葉は含んでいます。

教科書的には、こういうことが起こりました。

ロシア革命は、資本主義の発展の遅れたロシアの、皇帝専制政治の打倒から社会主義国家が建設されるまでの連続的な革命のことを指します。
1905年(ユリウス暦)の革命を第1次革命、1917年の革命を第2次革命と呼び、ロシアはそれまでとは別の統治体制に移行していきました。

1917年2月に、当時進行していた第1次世界大戦への反戦と平和を訴える大規模なストライキと暴動が全国に広がり、軍隊にも大きな反乱が生じました。
皇帝ニコライ2世は捕らえられ、ロマノフ朝が倒れたのです。これを「二月革命」といいます。
政権を握ったのは自由主義的市民を中心とする臨時政府で、労働者と兵士はこれを支持しました。二月革命は民衆が団結した成果でした。

その後、海外から社会主義者たちが帰国してくると、臨時政府に反対する「ボリシェヴィキ」と呼ばれる勢力が台頭してきます。
彼らは臨時政府を倒して、自らが政権を奪取して、プロレタリア独裁を実現しようとしていました。

レーニンが指揮したボリシェヴィキは、臨時政府と対立し、二月革命の結果に不満をもつ労働者からの支持を獲得します。
また軍隊の一部が同調することによって闘争に勝利し、世界史上初の社会主義政権を樹立しました。これを「十月革命」と呼んでいます。

さて。

この交響曲 第12番ニ短調『1917年』作品112は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが作曲した12番目の交響曲
1917年のロシア革命レーニンの偉業を称える曲だとされ、第4楽章には、社会主義革命の実現によりもたらされる「人類の夜明け」という標題がついています。
1961年の共産党大会の祝賀行事の一貫として初演されたものです。

初演はこんな感じ。

世界初演:1961年10月1日、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラードフィルハーモニー交響楽団
日本初演:1962年4月12日、上田仁指揮 東京交響楽団 日比谷公会堂

まさにこの革命をテーマとした、見ようによってはプロパガンダ的な国策迎合作品で、「社会主義リアリズム」というものが生み出した、一種の歪められた曲ということで、これまでたいして価値のある曲とは思われていなかったのです。

4楽章形式ではあるが、全て切れ目なく演奏される。演奏時間は約40分。
各楽章につけられた標題を見ても、この曲が映像詩風の写実的音楽を目指した側面がうかがえますね。

第1楽章 「革命のペトログラード (英:Revolutionary Petrograd 」
第2楽章 「ラズリーフ (英:Razliv )」レーニンは1917年4月にペトログラード近郊のラズリーフ湖の畔で革命の計画を練った
第3楽章 「アヴローラ (英:Aurora )」巡洋艦アヴローラが主砲で冬宮を砲撃し、十月革命の火蓋が切られる
第4楽章 「人類の夜明け (英:The Dawn of Humanity )」

このコンドラシン盤のジャケットなんかは、この曲の表題性を表していますね。

今手元にある録音は、コンドラシンとロジェストヴェンスキーです。

参考資料は、こんな感じ。

ポケットスコアもありますよ。

ただ、この作品への評価はそう簡単ではないかもしれません。

ショスタコーヴィチという作曲家は、権力に寄り添いながらも、じつは反骨精神も持ち続け、悩みあるいは戦いながら、あるときは圧殺の恐れと戦い、最終的にはしたたかに音楽家としての名誉の達成も享受する、というとてつもなく複雑な活動をした、一筋縄では把握できない人物です。

この曲についても、「レーニンの肖像を描くつもりで作曲し始めたら、全然別のものになってしまった」とショスタコーヴィチ自身が語ったことがあるそうですから、これは音楽による抵抗だ、と受け取ることも可能です。

スターリングラード攻防戦パノラマ博物館の前にある57mものレーニン

ムラヴィンスキーの演奏は、ちょっと別格な意味を持っています。
ムラヴィンスキーショスタコーヴィチの盟友であり、この曲も初演しています。演奏は全体として暗く重苦しい雰囲気が支配し、英雄的な気分の高揚も勝利感もない。問題の第4楽章になっても、全然「人類の夜明け」にはならない。この演奏はショスタコーヴィチの意図通りなのかもしれません。

Shostakovich: Symphony No. 12 in D minor, Op. 112, "The Year 1917" (Mravinsky, LPO - 1984) - YouTube


昨日触れたように、チャイコフスキーの大序曲「1812年」は、ロシア軍がナポレオンの侵略をみごと打ち破ったという内容だからダメ、という凄く単純な反応から差別されたのですが、僕が、じゃあショスタコーヴィチの 第12番ニ短調『1917年』はどうなの?と懸念したのは、こういう複雑な背景があるからです。

まあ、トルストイツルゲーネフも、ムソルグスキーラフマニノフも、プルシェンコもワリエワも、みんな同じロシア人だから気に食わない、という理屈で言えば、ショスタコーヴィチも同じでしょう。

ただ、この問題はそう単純には割り切れない、と思います。
ショスタコーヴィチ、初めて聴いてみようと思う人もいらっしゃるかな。

楽しみです。

0600 起床 気分並 快晴 ただでさえコロナのせいで音楽家は仕事の機会が奪われて死活問題なのに、泣き面に蜂。

血圧値 116/79/83 酸素飽和量 97% 体温 36.2℃ 体重 67.0キロ

今日も朝から暑いです。エアコン入れない読書室の温度は28℃、湿度60%。
雲一つない、快晴。

26日は東京都心部の気温も記録が残る1875(明治8)年以降の6月の最高気温と並ぶ36.2度に達したそうです。

1875年6月1日、 東京気象台が創設され、チャレンジャー号海洋探検隊チャールズ・トムソンとトーマス・ティザードの指導を受け、公式観測が開始される(毎日3回)。

この日以来の6月の最高気温と並ぶ36.2℃だった、ということですね。これは半端ない。

昨日は、午後から妹氏の所属するギターマンドリンクラブの定期演奏会に行ったのですが、ようやくコロナ禍の悪影響が改善しつつあるのか、お客さんもほぼ満席で、この世界もにぎやかさをとりもどしつつあるようでした。良いことだ。

プログラムにワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲があって、演奏前に指揮者による曲の構成の詳細なレクチャーがありました。この曲のライトモティーフの解説を実例を演奏させながらのアナリシスは、なかなか面白かったです。

とくに再現部の、「マイスタージンガーの動機」がコントラバスバス・チューバファゴットの低声部に再現、その上に「ダヴィデ王の動機」(木管、ホルン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ)、「愛の動機」(1番クラリネット、1番ホルン、第1ヴァイオリン、チェロ)が重なり、3重の対位法的な処理となるところ。
(このオケはマンドリン属5部+ギター+フルート・クラリネット+打楽器、といういわゆるギタマン編成)

ワーグナーはかなりバッハの技法を意識していますねえ。気をつけて聴いたのは初めてです。納得。
欲を言えば、この曲は木管だけでなく金管も補ってほしい。

演奏会のプログラムといえば、この前、床屋さんでひさびさに紙の新聞を読んでたら、次のような広告が。

■7月22日(金)19時開演 サントリーホール 読売日本交響楽団《第619回定期演奏会
指揮=アレホ・ペレス
ヴァイオリン=諏訪内晶子
ピアノ=エフゲニ・ボジャノフ

プログラム

エトヴェシュ:セイレーンの歌(日本初演
メンデルスゾーン:ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 ニ短調
ショスタコーヴィチ交響曲第12番 ニ短調 作品112 「1917年」

へえー、「1812年」やれるのか、と思っていたら、よく見ると「1917年」。
うーみゅ、これはこれでなにやら微妙な雰囲気ですねえ。

ご存じ、プーチン憎けりゃ袈裟まで憎い問題。あちこちでとばっちりを受けたロシア関係の人たち多数。
過去の作曲家まで! そりゃ無いよなあ。

ちょっと整理しておくと、こんな感じ。

ロシア人作曲家チャイコフスキー(1840~93年)の大序曲「1812年」の演奏を取りやめる動きが国内で相次いでいる。ナポレオン率いるフランス軍による1812年のロシア遠征で、ロシア軍がフランス軍を撃退する様子を表現し、日本でも親しまれているが、プーチンウクライナへの侵攻を続ける現在の状況で、演奏するのはふさわしくないとの判断があるようだ。

困った表情の作曲家

日本の反応

①明石フィルハーモニー管弦楽団兵庫県明石市)は、演奏会の最後にこの曲を予定していたが、急遽外した。担当者は「ロシアが他国の侵攻に打ち勝ったという意味を持つ曲の演奏は、好ましくないと判断した」と説明する。
②東京都立白鴎高・付属中(台東区)の吹奏楽部でも顧問と生徒らが話し合い、開催予定の定期演奏会での演奏を取りやめた。生徒からは、現地の状況を心配する声が上がり、「曲に罪はない」という意見もあったという。宮田明子校長は「これまで一生懸命練習してきた生徒たちが話し合って決めたこと。尊重したい」と語る。
③中部フィルハーモニー交響楽団(愛知県小牧市)は演奏会で演奏を取りやめ、代わりにフィンランドの作曲家シベリウス交響詩フィンランディア」を披露する。「フィンランディア」はロシアの圧政に抵抗する人々への思いを込めて作られた曲で、フィンランドの首都ヘルシンキの露大使館前であった抗議集会では、数百人の市民らがウクライナへの連帯を示そうと歌い上げた。中部フィルの担当者は「ウクライナを応援する意味で選んだ」と語る。ただ、「チャイコフスキーの音楽を否定することはない」として、バレエ音楽くるみ割り人形」を演目に追加するという。

世界の反応

バイエルン国立歌劇場ローマ歌劇場をはじめとしたいくつもの劇場が、オペラハウスの建物のファサードウクライナの国旗の色で照らし、平和への賛同と戦争への反対を表明。
②英国ロイヤルオペラは、夏に予定されていたボリショイ・バレエのロンドンでの公演キャンセルを発表。イギリスではこの他にも、ウルヴァーハンプトンノーサンプトンシャーの劇場もロシアのバレエ団のツアー中止。スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念モスクワ音楽劇場バレエの芸術監督を務めるフランス人ローラン・イレールは2月27日に辞職を表明、翌日には出国。
③ベルリン放送交響楽団と首席指揮者ウラディーミル・ユロフスキはチャイコフスキーの「スラヴ行進曲」をウクライナ国歌と、その作曲者であるミハイル・ヴェルビツキーの交響曲に変更。ウクライナ国歌のタイトルは「ウクライナは滅びず」。短命に終わったウクライナ人民共和国の国歌として1917年採用されましたが、併合により旧ソ連のもとでは歌うことを禁止されたというもの。1991年にウクライナは独立を果たし、翌1992年に国歌として復活。ユロフスキは、自身はモスクワ生まれで祖父がウクライナ人。「今回の行動(侵攻)に非常に憤慨すると同時に、家族の歴史を考えるととても悲しい」と語る。
④ロシアのオムスク生まれであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者キリル・ペトレンコは、軍事攻撃は世界の平和に対して後ろからナイフを刺すようなもの、すでに知られている通り、あらゆる国境を超えて人々をつなぐ芸術への攻撃であるとし、「私はすべてのウクライナ人の同僚と深く連帯しており、すべての芸術家が自由、主権、そして侵略に反対するために一緒に立ち上がることを願っている」と声明を発表。ベルリン・フィルは2月末のグスターヴォ・ドゥダメル指揮によるマーラー交響曲第2番を、ウクライナの犠牲者に捧げると表明。

BPOでロシア人が首席指揮者を務めるのは約70年ぶり

⑤最も苦しい立場にあるのはロシアの指揮者ヴァレリーゲルギエフ。2月25日からのウィーン・フィルカーネギーホール公演が急遽降板。カーネギーホールは5月に予定されているゲルギエフ率いるマリインスキー管弦楽団の公演もすべてキャンセル。ロッテルダム・フィルや首席指揮者を務めるミュンヘン・フィルも期限つきでの態度表明を求めている。
⑥ソプラノのアンナ・ネトレプコは、デンマークでのコンサートのキャンセルを余儀なくされ、「まず第一に、私はこの戦争に反対しています。 私はロシア人で、自分の国が大好きですが、ウクライナにはたくさんの友達がいて、今、私の胸は苦痛で張り裂けそうです。この戦争を終わらせ、人々が平和に暮らせるようにしたいと思います。 これが私が願い、祈っていることです。 ただし、芸術家や公人に公の場で政治的意見を表明し、故郷を非難することを強制することは正しくありません。 これは自由な選択です。 私は政治家ではありません。 私は政治の専門家ではありません。 私は芸術家であり、私の目的は政治的分裂を越えて団結することです。」とFacebookに投稿しました。実は、ロシアの文化省は、「軍事行動に反対して発言することは反逆行為と見なされる」と述べた法令を公布したとのことで、ロシアのアーティストたちは誰もが厳しい状況にあります。

まあ、きりがないのですが、ただでさえコロナのせいで音楽家は仕事の機会が奪われて死活問題なのに、泣き面に蜂(It never rains but it pours. 降るときはいつも土砂降り、と訳すんだと予備校で習った!)。

ああ、ついでに、このゲルギエフっていう人、ソ連崩壊後ガタガタになったロシア音楽界を一人で盛り返しているような、なかなか有能な人なのですが、爪楊枝みたいなもので振るのが有名、ていうか謎。

棒は何でもいいそうです

「なんでゲルギエフ爪楊枝持ってんの?」。しかも日本人だけでなく、外国人からも「I’m sorry, was he conducting with a toothpick?」と書かれる始末。

これについては彼なりの主張があるらしく、「レコード芸術2013年3月号」に書かれているゲルギエフに対するインタビューのなかで、自分は「眼で指揮すること」を第一に考えており、指揮棒は正直なんでもいいし、腕を振り回すことはかえって指揮の魔法を邪魔している、とか言ってるそうです。
またゲルギエフは友人と日本食レストランに行った際に指揮棒の話になり、自分のポリシーを証明するため、夜のニューヨーク・フィルとの演奏会はお店の「箸」で臨んだそうです。【出典未確認です、すみません。】


もう一つ、思い出した。
顔だけで指揮するバーンスタイン

www.youtube.com

Haydn Symphony No 88 4th Leonard Bernstein

しかも、関東地方、最短の梅雨明け!

気象庁は27日、関東甲信地方と東海地方、九州南部が梅雨明けしたとみられると発表した。いずれも梅雨の期間は過去最短だった。」

気象庁が暫定的に決めている梅雨明けの基準は以下の3つです。

1.雨が2日以上続いていた後
2.梅雨前線が北上して、前日と本日が晴れで
3.さらに週間天気予報で5日以上が晴れ(または一部曇り)

気象庁のHPでは、昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明けの地方別確定値が掲載されているので、これが正式記録ということになるようです。

0600 起床 気分快 晴 お友達お二人がきてくれました🎵 綺麗なお花と、小川町の銘酒をいただきました。

血圧値 121/80/68  酸素飽和 99%  体温 35.9℃ 体重 67.0キロ

おお、少し軽い! 体温は少し低いけど、エアコンのせいもあるのかな。

エアコン切っている読書室内は28℃で60%だから、ここで寝てもギリギリかな。寝室はドライ設定にしてます。しばらくこのやり方でいこう。

さすがに「クーラーは身体に悪い」と言える人は少なくなっただろうなあ。死んだらおしまい。

陽射しと影のコントラストが強い

気象庁は今後1週間程度、関東甲信を中心に猛暑日真夏日になるところが多いとして、熱中症への警戒を呼びかけている。
朝の最低気温も25℃を下回らない熱帯夜が続く。
2018年に関東甲信越が6月29日に梅雨明けしたこともあるので、今のタイミングでの梅雨明けもおかしくない。
ただ、例年の梅雨明けは7月19日ぐらいなので、まだ梅雨の戻りがある可能性もある。
ただ、この先1週間は猛暑酷暑が続くのは確実。

という感じ。

そうそう、エムサイズ (M-SIZE)のもう一つの自家製酵母パンの中身は、チョコレートでしたよ。トッピングはココアかな。

11時、家内の元同級生のお友達お二人がきてくれました🎵

綺麗なお花と、小川町の銘酒をいただきました。

お花は僕の自転車のフレームと色が合ってますね。
お酒は、のちほど僕がいただきましょう!

ありがとうございました。

そのあと、「かわさき」でお昼です😃

さらに、僕は大宮に出て、妹氏の所属する楽団の定期演奏会へ。

浦和ギターマンドリンクラブ
第42回定期演奏会
新 市民会館おおみや 愛称:RaiBoC Hall(レイボック ホール) 大ホール

ここは昔の大宮市民会館
市役所かな。

帰りに、目黒駅の成城石井でいろいろ買い物。

発酵バターのパンのシリーズは美味しいのですが、単品でクロワッサン6つとか多すぎるので、こういうパックがあると有難いです。

今晩は、この乙女豚と野菜のポン酢ジュレ温しゃぶ、を食べましょう。
一日の必要2/3の野菜が摂れる、とか書いてあります。ほんとうかな。

0540 起床 気分快 快晴 オムレツがうまく焼けた朝。にぎにぎしくパリピをお呼びして、ぱぁーっとやりますかね!

血圧値 123/76/70 酸素飽和量 98% 体温 36.4℃ 体重 67.6キロ

快晴の朝です。すでに気温が27℃、湿度も70%くらいあります。
お昼過ぎには東京でも31℃くらいになるようです。

でも、風があり、なんかいい感じの夏。

雲一つない、夏の朝

昨日は食べ物に気をつけたので、80キロ切ってます。まあ、ちょっとだけど。

金沢が暑い、しかも地震で揺れてる。
小松36.0度、金沢35.4度と県内で今年初の猛暑日
6月に猛暑日となるのは43年ぶりとなるそうです。

8月とか、どうなってるのかな。

金沢といえば、ご存じのこれ!

舞鶴に行きたい用事があるので、通ったら見てみよう。

スパニッシュオムレツを焼きました。

昨日のクリームシチューに使った具を、味付けせずに冷蔵しておいたので、これを使います。
なので、卵が固まればよいので、あまり周囲が焦げずにできました。
やはり、スキレットは保温性が良すぎるから注意ですね。

まあまあかな。
半分は夜に食べよう。

あと、スープカリーを。これはカレーペーストで作ると、少量でも調整が効きますね。

これをブランチにして、お昼は摂らなくていいかも。

などと言っているうちに。大変だ!

こんなことに。

東京都心では、午前11時30分ごろに、最高気温35℃を超え、今年初の猛暑日(最高気温35℃以上)になりました。
「観測史上最も早い」猛暑日の記録です。

車のボンネットの上で目玉焼きが焼けるってやつですね!

ほんとうにやるひともいる!

これは、人が死んでも不思議ではない。皆さん、気をつけましょう。

そうそう、明日のお昼に、お客さんが二人みえます。家内にお線香をあげに来てくださるのです。
退院以来、読書室にお迎えするのは3人目ということに。

動線上に粗相があってはいけないので、清掃とか整頓をしました。
仕上げは明日の朝ですね。

こんな感じ。大丈夫かな?




家の中を整えておく秘訣は、しばしばお客様をお迎えすることだと思いますが、なかなかねえ。

にぎにぎしくパリピをお呼びして、ぱぁーっとやりますかね!

注文していた夏の帽子が届きました。
大正浪漫の、カンカン帽。
これは鬼麦というちょっと変わった素材でできてます。

和装寄りでも使えます。

麦わら帽子の田中帽子店:公式

さすがに、7時をまわらないと散歩にも出られなかったので、ちょっと徘徊。

今日の天然酵母パンは、ココナッツ祭り。
ココバジルと、もう一つお菓子系は、何だっけなあ。
チョコっぽいなあ。明日の朝、食べれば分かります。

エムサイズ (M-SIZE) 謹製

0400 起床 気分並 曇 村松哲文先生の本『仏像鑑賞入門』が出ました。推薦帯文と写真は、和田彩花。

血圧値 117/75/76 酸素飽和量 98%  体温 36.6℃ 体重 68.0キロ

やっぱり前の日、ちょっと食べると68キロの大台を超えてきますね!

はん亭の串揚げ 止める迄どんどん出ます

まあ、それでも入院前から見ればー5キロを維持してるけど。

まずまずかなあ。

今僕の端末では、串揚げ写真の上に、プレミアムモルツのCMが出てるけど、これはやはり暗号なのか!
皆さんの画面は違うのかな。ここには見る人の煩悩が映し出されるのである。

皆さんは、体重計を家の中のどこに置いてますか?

僕はずっとキッチンに。これはなかなかの抑止力になってます。
測るだけダイエット。
食べる前、食べたあと。

さて。

駒澤大学教授・村松哲文先生の本が出ました。
集英社新書から『仏像鑑賞入門』。

最強の推薦帯文と写真は、和田彩花
これは、グレートですね!
駒澤大学仏教学部教授が語る 仏像鑑賞入門/村松 哲文 | 集英社 ― SHUEISHA ―

これから読みますね。

0500 起床 気分快 曇 いまさらですが。ブログを書くって、何だろう。そして「茅の輪くぐり」をやってみる。

血圧値 119/75/73 酸素飽和量 99% 体温 36.4℃ 体重 67.4キロ

昨夜はちょっとだけ早めに寝たら、5時前に自然に目が覚めました。
なかなか良い感じかな。

この記事を書いている僕は、ブログの毎日更新を続けて、54日が経過しました。
けっこう続いてるなあ、とも、まだそんなものか、とも。

とりあえず、ある起点から54日間の僕、という証しみたいなものは感じられる。
今までは、ただ流れて行ってしまった時間だったものですからね。

何といっても、毎日、いろいろなかたが読んでくれる、というのが嬉しいなあ。
この時代、レスポンスやフィードバックを気軽にいただけるし。
昔はこれを、紙やアナログでやってたんだなあ。それはもう尊敬しかない。

ところで。
ブログを書くって、何だろう。

平日、お仕事をやられている方だと、毎日の更新は厳しいはずです。
いつの間にか毎日更新することが目的になって、苦痛に感じることもあるでしょう。

ようするに、たいてい忙しい。

いろいろな出来事があって、僕はお暇人になって、なんとなくこのブログを始めてみました。
忙しいままだったら、やらなかったと思う。

わくわくする話(ていうか面白いアイデア)を思いついた時に、即決で「じゃあ、やってみるかな」と言える時間的余裕があるのかないのか。

これがなかなかむつかしい。みんな日々の生活があるし。

それでもなんとかブログを書くメリットといえば、こんなことかな。

①文章を書くことに抵抗がなくなる(スマホやPCなど電子機器を使っているという点も大事)
②書いている分野の知識が増える(アウトプットを意識したインプットを考えるようになる)
③論理的思考が身につく(ともかく、読んでもらえる書き方をしないとね)
④毎日の生き方に意味が持てる(ともかく、お見せできる生き方をしないとね)

コナミの後、午後から千駄木へ。団子坂を上がって、乱歩先生が始めてすぐ潰れた古本屋三人書房のあったあたり、団子坂坂上
今となっては明確には場所の特定ができないのですが(千駄木五丁目5-14)、森鴎外旧宅、今は森鴎外記念館辺りかな。

森鴎外が団子坂上の観潮楼に住んだのは明治25年から亡くなる大正11年までですから、僅か200m駒込方面に離れたところに三人書房があったわけです。

鴎外記念館から団子坂下方面を望む

文京区立森鴎外記念館 - 文京区立森鴎外記念館

鴎外記念館、すなわち観潮楼跡地の横から根津神社方面に下る坂道を薮下通りといいます。
茂みの石垣の上に、「汐見坂」と彫られた石の標識があります。
これを下ると我が日医大付属病院を抜けて根津神社へ。


ちょうど「夏越の祓」の儀式のひとつ茅の輪くぐりが設置されてます。

「茅の輪くぐり」の読み方は、「ちのわくぐり」。
これは、イネ科の植物の茅(かや)を編んで大きな輪を作ったものです。その輪をくぐることで、けがれや罪から心身を清め、無病息災や厄除けなどを祈願します。

僕もやってみましょう。

茅の輪のくぐり方は神社によって異なりますが、一般的には1周目が左回り、2周目は右回り、3周目にもう一度左回りして参拝します。詳しい手順を見てみましょう。

1周目:茅の輪の正面に立ち一礼します。左足で輪をまたいでくぐります。左側に回って正面に戻ります。
2周目:また正面で一礼して、今度は右足でまたぎます。右側に回って、正面に戻ってください。
3周目:一礼してから左足でまたいでくぐり、左側に回って正面に戻ります。
お参り:一礼し、もう一度左足でまたいでくぐり、そのまま拝殿へ向かってお参りをします。

撮影してくれたMちゃん。ありがとうございます。

お参りの後は、ひさびさのはん亭。



無病息災ではないが、一病息災を期待して。

ちなみに、就寝前の血圧値は、
93/54/80‼️